塾日記(2) 平成28年~令和2年
平成28年7月から
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その言葉が残せない
(平成28年9月28日)
「この世に摩擦がなかったら?」 ・・・ とても面白い質問です。
たとえば路面がツルツルの状態ですから、車のブレーキもハンドルも全く効きません。そもそも、車を発進させることができません。
そのかわり、加速したものは何かにぶつからないかぎり止まりませんから学校や職場まで行くのは楽になるかも。 みんなが道をスィーッと滑っていくのを想像するのは楽しいですね(笑) けれど、鉛筆やクレヨンを握ることも、紙に文字を書くこともできません。
一方、現実の世界では車と路面の摩擦のおかげで、乗り物のスピードはどんどん速くなっています。 むしろブレーキの性能が追いつかないために、速度を制限しているほどです。
ただし皮肉なことに、ある速度を越えるとその摩擦が今度は速度の邪魔になるんです。 摩擦力を利用した加速は、自動車でも電車でも時速400キロくらいが限度と言われています。 加速に不可欠の摩擦が、時速400キロを境にして逆にブレーキとなるのです。 だから時速500キロを目標とするリニアモーターカーは車体を浮かしているんですね。
摩擦とは、実は正体不明のとても難解な現象でした。
「この世に摩擦がなかったら?」
こんな楽な世界はないと思いがちですが、実は愛する人と手をつなぐことも、「ごめんね」とメモを残すこともできない、そんな世界なのです。
・・・ ささいな行き違いで心の摩擦に悩んだとき、そんな話を思い出してください。
孤高のプルート
(平成28年10月26日)
「あんなに星があるのに、どうしてぶつからないの?」 夏休みにエンゼルランド(児童科学館)で天体観測をしてから、Tくんはずっと疑問に思っていたそうです。
床に1円玉(直径2cm)を置いて、2m15cm離れた所に鉛筆の先で小さな点を書きます。 これが、太陽(1円玉)と地球(点)のおよその位置関係です。
この縮尺(約700億分の1)でいうと、太陽系の一番外を周る海王星は、1円玉から65m。10年前に太陽系惑星から除外された冥王星は1円玉から85m離れて周っていることになります。
さらに、太陽系に最も近い恒星であるケンタウルス星のアルファ星。 そう、ウルトラマンシリーズでおなじみのアルファ星人の住む(?)星ですが、その位置は太陽の大きさを1円玉とするとなんと600kmかなたになります。 東京-岡山間より遠いんです。
宇宙って、ほんとは隙間だらけなんですね。 Tくんも今夜からは枕を高くして眠れそうです。
話は変わって、誕生50周年を迎え新作映画も上映中の「スター・トレック」。その映画版第1作に登場したのが、アメリカの無人探査機ボイジャーでした。
39年前に打ち上げられ、現在も太陽系外に向けて飛行中ですが、時速6万kmという超スピードにも関わらず人類以外の知的生命体と遭遇する可能性があるのは早くても数百年後だそうです。 ・・・ 向こうが人類を”知的”と思ってくれるかは疑問ですけれど。
今はもう私たちの記憶から消えつつある冥王星(プルート)。そして、ボイジャー。 他者の感知の及ばぬ孤高の星は、それでもはるかな地球に向けて瞬(またた)きを送り続けます。
逆行にめげず我が道を行くすべての人の頭上に、”奇(くす)しき光” はたゆむことなく。
350年目の謝罪
(平成28年11月30日)
「太陽は東から上がる」。 これは事実ですが、真実ではありません。 日の出入りは地球の自転による見せかけの運動です。
皆さんご存知のガリレオ・ガリレイは、今から400年ほど前のイタリアの大学教授でした。 地動説を数学的に証明したことなどによって教会から異端として迫害されましたが、失職・失明後も著述を続け、当時常識とされていたさまざまな事実から、尊い真実を明らかにしました。
「ひとつの現象に対して、いろんな見方があってもいい」 という考え方は、紀元前500年頃、ギリシャで生まれたと言われています。 その寛容さこそがその後の科学の発展を可能にしたことは間違いありません。
学問が人生を豊かにするというのはこれと同じように、ひとつの事実に対してさまざまな考え方、味わい方ができるということだと思います。 科学や数学を学ぶ目的は、これを理解することにほかなりません。
今年もノーベル賞の授賞式が、アルフレッド・ノーベルの命日である12月10日に行われます。 その受賞者たちもまた、始めは少数派からの孤独な出発だったろうと想像できます。
それは無数の事実からたったひとつの真実を探りあてるという、気の遠くなるような道のりだったことでしょう。
「それでも地球は周っている」と最期まで自説の検証を怠らなかった「科学の父」ガリレオ。
ローマ教会が彼に正式に謝罪したのは、彼の死後ちょうど350を経た1992年。 今からほんの24年前のことでした。
風に吹かれて
(平成28年12月25日)
スマートフォンやカーナビ等の普及のおかげで 「科学なんて役に立たない」 という生徒さんはさすがに少なくなりました。
けれど、科学的な発想を身につけることが相互理解の基本になるということも知ってほしいと思い、長々と話を続けました。
学習とは孤独な作業ですが、それと同時に相反する観点を受け入れる包容力が強く求められます。
花の名を知ると、好きな花がひとつ増えるように。
間もなく終わろうとしているこの1年。 世界中で ”自国ファースト” ”自分ファースト” の風潮がもてはやされました。
また、公衆の面前でスマートフォンに熱中する人の姿はもはや当たり前となり、あろうことか画面を操作しながら公道を歩行、運転する人さえ出現しています。
個々人の利益と利便性を追求して迎えた「非接触 ・不寛容の時代」 それは、人間が繰り返してきた大きな過ちへの 「いつかきた道」 を思い出させるものです。
学生時代に読んだ本の中に 「平和の対義語は戦争ではなく、無知と無関心だ」 という言葉がありました。
今年度ノーベル平和賞受賞者にボブ・ディラン氏の名前を見たとき、まずその言葉が浮かびました。
どのような斬新な耳触りのよい思想や器械であろうと、人と人の相互理解を妨げるならば、それは文明の進歩ではなく人類の退化でしょう。
心の届かない世界の哀しみを歌ったディラン氏の歌詞に世界が追いついてしまったのか。
その答えもまた、風に吹かれているのでしょうか ・・・
5年目のドルフィン
(平成29年4月25日)
久しぶりに京都に行きました。 JR京都駅から15分ほど歩いた梅小路公園内にある京都水族館と鉄道博物館がお目当てです。
広大な芝生に家族連れが弁当を広げ、子供たちは小川で水浸しになって大はしゃぎ。 目の前を本物の新幹線や珍しい新型車両、博物館所蔵の蒸気機関車が走って行くのですが、あわててカメラ向けているのは、お上りさんの私だけでした(笑)
都会の真ん中でゆったりと桜を楽しむ人たちを見ながら、古都の街づくりのやさしさを今さらながら感じました。
いつの頃からでしょう。 どこに行っても幹線道路は見慣れた店ばかり。
かつてレジャー産業が全国の観光地を均一化したように、味わいのある街並みが消えつつあります。
商業施設にとどまらず、お祭りもテレビ番組も、食べ物やファッションにさえ速成均一化の波。
アイデンティティ(自分が自分であるというよりどころ)を犠牲にすれば、手間は省けリスクが減り、価格が安くなります。 けれど、手間と一緒に私たちが省いているものは何なのでしょうか。
そう言えば、ある落語家が、「本当に面白い芸人は寄席にいます。(中略)手間を惜しめば、芸や伝統は消えるしかありません」 と語っていたのを思い出しました。
京都水族館オープン当時、イルカショーの拙さを批判する声も少なくなかったそうです。 トレーナーにとっては、さぞ苦しい年月だったことでしょう。
・・・ そして迎えた5年目の春。
成長著しいイルカたちは、遠くの公園緑地からもはっきりとわかる美しい放物線を確かに描いていました。
一輪のバラと笑顔から
(平成29年5月31日)
中国滞在中のチャールズ・チャップリン氏が、現地のホテルマンたちと通訳なしで話しているのを見て、同行した記者たちはビックリしました。
さすが喜劇王、短い期間に日常会話を習得してしまったのかと感心しきり。
けれど実は、チャップリン氏が前もって 「私が意味不明の言葉を話すから、大きな声で会話しているフリをしてほしい」 とホテルマンに頼んでおいたということです。 なかなか気の利いたパフォーマンスですね。
さて、日本でのお話。私たちは他の外国語と比べれば何十倍もの英語の挨拶や単語を知っているはずなのに、どうして英語で話しかけられると逃げ腰になってしまうのでしょう?
私自身の経験から考えるに 「英語のテストを受けているようで、周りの人に聞かれるのが恥ずかしい」 という見栄が根底にあるような気がします。
もし相手が恋人だったら、緊急の場合だったら、片言の英語と日本語で何とかするはず。
つまり問題は英語力ではなく、伝えようという気持ちではないでしょうか。
先の話に戻りますが、チャップリン氏と会話するふりをしていた中国のホテルマン。 不思議なことに、氏の話すでたらめな言葉がなんとなく理解できたといいます。
なるほどコミュニケーションの基本は、もてなす心なのかもしれません。
残念ながら福井県を訪れる外国人宿泊者の数は全国最少ということですが、もし今度外国語で話しかけられたら、とりあえず笑顔で「こんにちは」と返してみましょう。
きっとあとは何とかなります。
名画「街の灯」で、浮浪者が花売り娘にそっと微笑みかけたように。
読み方のチカラ
(平成29年7月26日)
昨今盛り上がりを見せている日本の卓球界。 私はずっと卓球の発祥地は中国だと思っていましたが、実はインドの遊びがイギリスに渡ってスポーツになったものだそうです。
テーブルテニスという名前のとおり、テニスのルールを基礎にした室内スポーツとして普及し、今もヨーロッパ各地でリーグ戦が行われています。
当初はディンドン、続いてピンポンと呼ばれるようになったらしく、ピンポンって日本語じゃなかったのかと、これもちょっと驚きでした。
そこで素朴な疑問。
ping pong がピンポン、ついでに Hong Kong(香港) がホンコンなら King Kong はキングコングじゃなくてキンコンでいいんじゃないの?
そう言えば、 Chan という名前を、ジャッキーの場合はチェン、アグネスの場合はチャンと読むのはなぜ?
もっとも、「キンコン」や「ジャッキー・チャン」では、あまり強そうな気はしませんから、これはイメージを優先しての判断でしょうか。
そんな話をしていたら、「羽生と書いて、将棋ではハブ、スケートではハニュウと読むじゃないですか」 と、生徒さんに突っ込まれました(笑) 蛇足ながら、私はよく「北村さん」と間違われます。
ずいぶん前の話ですが、オーストラリアにホームステイしていた頃、何度も「ミルボン」という謎の言葉を耳にしました。 「大きなミルボン」 「ミルボン料理」 ???
聞くに聞けないまま日は過ぎて、それが「メルボルン」という地名だと気付いたのは日本に帰る飛行機の中でした。
今でも夏になると(向こうは冬でしたが)、南極海を渡る風の匂いと、「ミルボン」というなつかしい響きを思い出します。
読み方って、イメージと強く結びついているものなんですね。
鳥肌が消えるまで
(平成29年9月27日)
9月10日午後3時半頃、北陸自動車道武生インター付近の電光掲示板に 「注意!逆走車あり」 の文字。
まさかと思いつつ、速度を落とし車間距離を長めにとって走っていると、今庄付近で追い越し車線を逆走して来る軽トラックに遭遇しました。 自分では冷静なつもりでしたが、気がつけば両腕に鳥肌が立っていました。
歩行者も信号もない高速道路は、本来なら安全・快適な道路のはずです。 けれど当然ながら、ルールや制限速度を越えれば越えるほど運転時のリスクは激増します。
速度と走行時間の関係を考えてみましょう。
たとえば福井から京都まで、高速道路の走行距離は約170キロ。 この道のりを時速100キロで行けば1時間42分、時速120キロだと1時間25分。
その差はわずか17分です。
福井北から金沢西まで(69キロ)あるいは福井から敦賀まで(51キロ) 同様の計算をするとその差は5~6分にすぎません。
まして一般道路では、どんなに無茶をしてもたかが知れています。 私たちは日常それほど時間に神経質になっているしょうか。
事故によって永遠に失われる時間。 たとえ無傷であったとしても事後処理とその後の審査等に費やされる非常に長い時間。
それらと比べれば一瞬のようなわずかな時間を、大きなリスクを犯してまで惜しむ必要はどこにもありません。
不幸な過去の被害者たちの無念に報いる方法はただひとつ、同じ過ちを決して繰り返さないことです。
「ただいまと 家族に無事を お土産に」
・・・目的地に着いて半時間近く。 鳥肌が消えるまでそんなことを考えていました。
人を知らざるを患(うれ)う
(平成20年11月29日)
ある作家の著作に 「学校がつまらないのは教育制度のせい。詰め込み教育が若者の心を歪めている」 というような内容の文章がありました。
教育制度の善悪はよくわかりませんが・・・ 以下、個人の感想です。
心開かずして望み叶うことはまずありません。 たとえば手元の接客術の教科書にも 「いいサービスを受けられない者はいいサービスができない」 と書かれています。
他人の心づかいに対して、とかく悪い面が目につくような感性では、他人をもてなすことはできないという意味です。
他を尊重しつつ、周囲にいい教師を見つけるということはひとつの才能です。 一人の力には限界があるからです。
私たちの周りには隠れた才能を持つ人がたくさんいます。 求めれば惜しみなく諭してくれる人がどこにもいます。
それに気づかないのは、自分が未だその人のレベルに達していないからにすぎません。
「人の己(おのれ)を知らざるを患(うれ)えず。人を知らざるを患う」。 世間が自分を認めようとしないことを恨むのではなく、
人の善意や努力に気づかない自分をこそ反省せよという、これは論語の言葉です。
私は、夢や努力が必ず報いられるとは思っていません。 けれど、真剣に求めていれば、同じような志を持った人が必ず現れるというのは真実だと思っています。
一生の宝になるかもしれない素晴らしい教師がいるのに、それに気づかないなんて、これ以上もったいないことはありません。
日本を代表する作家にまさか反論する気はさらさらないのですが、彼の本が多くの青少年に読まれていることを鑑みて
書かずにはいられませんでした。
私の知る素晴らしい先生方に申しわけなく思うからです。
セイキの祭典
(平成30年3月28日)
①
あるところに、性器の大きさによって男性の収入が決まるという村がありました。
男たちは競って性器の大きさを自慢し合い、当然のように多くの時間を性器の発育(?)に費やしました。
近くの村では声の大きさを競っているらしいとか、遠くの村では女房の体重を比べているという噂を聞くたびに 「バカな奴らもいるもんだ」と笑いながら、今日もまた互いの股間を大真面目に比べ合うのでした。
②
宇宙人について考えるとき、はるか遠くの生命体がみんな私たちと同じ大きさや時間の概念を持っていると決めつけるのはなぜでしょう。 地球上でさえ、バクテリアからクジラまで様々な大きさの尺度をもつ生物がいます。 また、ミツバチとゾウガメの時間に対する感覚は、明らかに異なるはずです。
言うまでもなく、人類の建造物や乗り物は人体の寸法と地球の引力を基準にしており、会話や音楽は心拍と呼吸の速さを基準にしているので、宇宙人は何百倍の大きさかも知れませんし私たちの1日を1秒のように感じるかも知れないのです。
③
幼稚園の頃から、私たちは周囲と競い合って生きてきました。 駆けっこ、水泳、掛け算九九・・・ 最初は面白がって勝った負けたと遊んでいたつもりでしたが。
成績、スピード、幸福度・・・ 常に誰かと比べながら生きる習慣がついてしまって。
それが学校教育の欠陥だと言う方もいますが、他と競うことで成長するのが生命の原理だと言う人もいます。
それはさておき、本当は比べなくてもいいものや、もともと比べられないものを同列に比べる習慣はやめにした方がいいのかもしれません。
まずは、勉強をスポーツを生活を楽しむ心が大切です。 自分を測る尺度は自分だけのもの。
遠く耳をすませば、性器を比べ合う男たちのささやきが聞こえてくるようです。
さよなら、ギャランドゥ
平成30年5月30日)
トランプの4種類のマーク。
ハート(聖杯)は僧侶、ダイヤ(貨幣)は商人、スペード(剣)は貴族、クラブ(こん棒)は農民を表しているそうです。
え? ちょっと待って。 クラブって三つ葉のことじゃないの?
いえいえ、英語でクラブclubとは棍棒(こんぼう)のこと。 ゴルフクラブのクラブですね。
トランプに描かれている三つ葉のマークはその棒の先についていた葉っぱを絵柄にしたもので、クラブ=クローバーではないんです。
英語の勘違いは、他にもいろいろあります。 フリーマーケットは「自由freeに出店できる市場」と思われていますが、あのフリーはfleaつまり虫のノミのこと。 ノミのように乱雑に店が並び混雑していることから 「ノミの市」 と呼ばれるようになりました。
ただし、日本フリーマーケット協会は、未だにfreeと間違った表記のままですが(汗)
同じように、ワイシャツはホワイトシャツWhite shirtの聞き間違いで、青いワイシャツというものは本来存在しません。
また、ショートケーキのショートshortは、柔らかいとか崩れやすいという意味で、アメリカのショートケイク(表面がサクサクして中が柔らかいケーキ)から命名されたと言われています。
続いて、スイートルームのスイートsuiteは、「ひと揃い、つながってい」 るという意味で、ベットルームとリビングルーム等が続いている部屋のことを指します。 新婚さんのための甘い「sweet」部屋ではありません。
聞き間違いと言えば、ドラマの主題歌が聞き取れないとお悩みの方。 リモコンの字幕ボタンを押せば歌詞が表示される番組もありますよ(朝ドラも)。
最後に、西城秀樹さんの名曲”ギャランドゥ”は、gal&doという造語だそうで、無理に訳せば”女の子とイケイケ”みたいな意味でしょうか。
永遠なり gal&do ・・・
国語の勉強法 ①
(平成30年10月31日)
「2×3=7」 は惜しいから半分マルというような勉強をしていると、「国語は答えがたくさんある気がして、どれが正解かわからない」 という勘違いをすることになります。
まず最初に、国語も他の科目と同じように答えはひとつしかないこと。 しかも国語では問題文の中に答えが書いてあるということを肝に銘じてください。
たとえば桃太郎の歌を聞いて、「どうして猿は桃太郎について行ったか」 と聞かれたら、「きびだんごをもらったから」です。 「鬼が憎かったから」でも「村人を助けるため」でもありません。
「自由に考えて書きなさい」という種類の問題以外においては、自分で作った回答は不正解だと思ってください。
少なくとも小中学校の国語のテストで「行間を読む」必要は全くありません。 むしろ外国語を読むときの感覚に近いと言えるでしょう。
次に、可能なかぎり作者の言葉をそのまま使って答えることです。 「抜き出しなさい」と言われたら、一字一句間違えずに。
「一文を書きなさい」と言われたら、前文の句点(。)の直後から次の句点まで。 読点(、)やかぎかっこ(「」)、接続詞も含めて正確に。
たとえ「文中の言葉を使って」という指示がなくても、作者の文章をできるかぎり正確に使用します。 それが問題文をしっかり読んでいることのアピールになります。 テストだからではなく、それが作者への礼儀でもあると私は思います。
大学でも実社会でも同様です。
さらに、問題文の中にキーワードがあれば、多くの場合それが質問の答えに含まれます。 これは大きなヒントになります。
「北極の宝石」のように作者が作った言葉や繰り返し使われている言葉、印象深い文章があったらチェックを入れておきましょう。
国語の勉強法 ②
(平成30年11月26日)
人並みに話せるし本も読めるから国語の勉強は特にしなくていいと思っていませんか? でも水遊びが好きな子が、そのうち水泳選手になれるわけではないのです。
国語という科目を習得するには、日常の言葉と区別して言葉の感覚を磨くための的確な訓練をする必要があります。
読書量が成績に比例するというのは全科目に必要な論理性と感受性が養われるという意味であって、趣味の読書と読解力はイコールではありません。
まず基礎堅めから。 漢字と語彙(ボキャブラリ)の知識を広げること。 最近では「〇歳までに覚えたい語彙」というような本も出版されています。
品詞の区別や活用などの文法、古文・漢文の読み方のルールも覚えておきましょう。 それらが国語に対する自信になります。
外国語を学ぶつもりで、きめ細かく取り組んでください。
作文の書き方について。
「楽しかった」「頑張ります」など具体性の伴わない書き方ではなく、客観的な事象で自分の気持ちを表現しましょう。
「丸まってる背中にもらい泣き」 という歌詞、情景と気持ちがよく伝わりますね。
結論は始めに。 文は短く。 反論は書かない。 書き出しと締めくくりに重点を置きます。
「『あれが山頂だ』と先輩が言った」というようにセリフから書き始めるのも面白い技法です。
学校の教材や過去問を時間を制限してやってみましょう。 正解にたどりつく読み方がわかるまで、何度も読み返します。
蛍光ペンで問題文中の正解部分をマークすれば、文章のつながりを目で確認できます。
正しい日本語を話す。 人の話を正確に聞く。 そして他人の考えや感情を尊重して理解できる。
国語のテストで問われるのは、そういうコミュニケーション力だということを忘れないでください。
独学のバタ足と水泳選手のキックは、全く別物だと繰り返しておきます。
あの日の悲しみさえ
(平成31年1月30日)
「別れる男に花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます」 川端康成の「化粧の天使達」に収められた「花」という小品の一節です。
別れたあとも毎年自分のことを思い出してもらいたいという女性の気持ちを表していますが、残念ながら私はそういう風情のある女性とはお近づきになったことがなくて、花と言えば未だにチューリップとヒマワリくらいしか区別がつきません。(オイオイ)
卒業、引っ越しを前に、親しかった友人と印象に残る思い出をということなら、私のお勧めは一緒に星座を見ること。 星座は確実に毎年同じ時期に同じ方角に見えますので、これ以上永久かつ正確なものはありません。
今の時期ですと、夜8時前後に南の空に浮かぶオリオン座が最適でしょう。 明るい星でできた大きな四(五)角形の真ん中に、三つの星が並びます。
国際天文学連合という組織が認定した88個の星座の中でも、最も見つけやすいもののひとつですから、彼もしくは彼女は冬の空を見上げるたびにあなたのことを思い出すでしょう。
余談ですがこの88という数字、グランドピアノの鍵盤の数、四国霊場の数、米寿の祝い、八十八夜など、昔からいろんな意味を含んだ数字です。 そう言えば、デロリアンも時速88マイルでタイムトラベルしました(古っ)。
もう一つ、相手の生まれた日が何曜日だったか教えてあげるのもいい思い出になると思います。 「万年カレンダー」で検索すると簡単に調べられます。
曜日は7種類しかないので誰かと同じという確率が高いですし、何しろ自分だけの一生変わらない祝日ですから決して忘れません。
記念品より心に残る小さな思い出が、あの日の悲しみをきらめきに変えてくれたら素敵ですね。
どうして失敗から学べないの?
(平成31年3月27日)
「テストで悪い点をとれば、懲りて勉強する気になるだろう」 「忘れ物をして先生に叱られれば、これから気をつけるようになるだろう」
・・・そういう期待を裏切られてガッカリするのは、どの家庭でも同じです。
もちろん以前に私がここで書いたように、成功も発明も過去の失敗から導かれるものですが、それらは決して「懲りたから」とか「叱られたから」という理由によるものではありません。
そもそも、怠けることや忘れることから何かを学ぶというのが無理な話なのかも。
失敗から学ぶという理想的なサイクルが成り立つのは、はっきりした目標と意志がある場合に限られます。
料理人が客の食べ残しを見て明日の味付けを変えてみるとか、アスリートが競技のビデオを見直して新しい練習メニューを組み立てるという場面を想像してください。
それは恥ずかしい、悲しいという感情的な反省ではなく、目標に向かった試行錯誤の積み重ねにほかなりません。
目標のない失敗には意味がないということです。
悪い点をとれば子供はやる気をなくします。 忘れ物を誰かに貸してもらっているうちに忘れることに慣れてしまう子もいます。
自分で気が付くだろうと待っているのではなく、まず負の体験をさせないことに気を配るべきです。
勉強に集中できない原因をひとつでも減らして、家族として協力できることを探してみましょう。
入学進学を機会に、勉強する時間や場所を変えてみる。 持ち物置き場を一か所にまとめて持ち物チェックの時間を決める(複数回)。 居間の環境を見直すなど、あれこれ知恵を出し合ってはいかがですか。
聞いてあげれば、きっとお子さんの方からも希望やアイデアが出るはずです。 そうやって家族がともに考え応援していることを知らせましょう。
試行錯誤の積み重ねこそ、まさに勉強の王道です。
時代(とき)をまたぐ”願い”
(令和元年5月29日)
平成31年4月12日(金)。 東京大学の上野千鶴子名誉教授が、東大入学式で一風変わった祝辞を読まれました。
40代以上の方には、かつて歌手のアグネス・チャンさんが子連れでテレビ局に出入りしていたことでバッシングを受けた”アグネス論争”の際、アグネス擁護論を打ち出して世論をひっくり返した女性と言えば思い出していただけるでしょうか。
以下、祝辞の一部を抜粋します。
「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを恵まれない人々を貶(おとし)めるためにではなく、そういう人々を助けるために使ってください。 そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」
東京大学のウェブに全文が掲載されていますので是非お読みください。 30年越しの、次の時代への ”願い” です。
平成31年4月19日(金) ・ 令和元年5月8日(水)。 ご存知のように、池袋と大津市で悲しい交通事故が起きてしまいました。
事故はいつも理不尽なもの。失われた命は戻りません。 けれど犠牲者や遺族の無念を想って私たちがアクセルを踏む足をほんの少し緩める余裕とほんの少し道を譲る勇気を持てば、尊い犠牲を教訓として生かせるかも知れません。
高齢・中年ドライバーの問題だからまだ自分には関係ないとくれぐれも思わないでください。 おそらく加害者たちは何度となく「あの日の朝に戻りたい」と自身を責めて立てていることでしょう。
誰もがハンドルを握るたびに、「あの日の朝に戻れたんだ。ありがたい」 と感謝しつつ気を引き締めることを、ご冥福とともにお祈りします。
帰らない貴い命たちの、ただひとつの”願い”として。
You やっちゃいなよ
~ 未来への脱皮
(令和元年7月24日)
2016年の夏、岡山県の当時高校3年生だった植松蒼君はある疑問を抱きました。
「地上に出たセミは短命なはずなのに、夏休みの間にセミの死骸をそれほど見かけないのは何故か」 という素朴な疑問でした。
彼はその後2か月もの間、毎日セミの捕獲とマーキングを繰り返し、なんとアブラゼミの最長生存記録32日間を証明したのです。
セミの短命説が疑わしいということは以前から言われていたことですが、少年らしい着想と実証方法には驚くばかり。 3年を経た今も、各方面で賞賛の声が広がっています。
このニュースを聞いたとき私は、昔の映画に登場した二人の女性教師を思い出しました。
5月のこのコラムでは東京大学名誉教授・上野千鶴子さん。6月には元朝日新聞デスク・稲垣えみ子さんの言葉に触れましたが、今回も二人の女性をご紹介します。
「遠い空の向こうに」 という映画に登場するライリー先生(ローラ・ダーン)と、「モナリザ・スマイル」 という映画の主人公キャサリン先生(ジュリア・ロバーツ)です。
どちらの映画もアメリカの超保守的な地方都市で、若者たちの自由な生き方を支える教師の物語。
「遠い空の向こうに」 は実話であり、「モナリザ・スマイル」 は元大統領夫人ヒラリー・クリントンさんの自伝を素材にしているそうです。
力=正義という今風のドラマと違って、この二人は周囲の理解を得られないまま職場を去ることになりますが、残された生徒たちの心にともった灯が彼らの人生を大きく変えるという希望に満ちたラストとなっています。
「人は負けるとわかっていても闘わなければならないときがある」。 「与えられた知識を鵜呑みにしてはいけない」
青空の下、汗をかきながら8日目のセミを追いかける18歳の少年の姿が目に見えるようです。
若者よ書を抱け
(令和元年9月30日)
「読書の楽しさを考えよう」 私の一言で教室はしら~っとした空気になりますが、先を続けます(笑)
ゲームなんかより何百倍も面白くワクワクする世界があります。 舞台もストーリーもお好み次第。 金メダリストもノーベル賞受賞者も一人占め。 謎解き、冒険、恋愛、スポーツ、ジャンルも自由自在。
人類の英知と勇気が創り出した無限のアドベンチャーワールド。 それこそが本の世界なんです。
知らないなんて絶対モッタイナイ。 楽しさを探してまず最初のページを読んでみよう。 途中で投げ出しても大丈夫。
本は君の手の届く所に無数にあります。
「本はドラえもんのどこでもドア」。 恐竜時代へ、ベルサイユ宮殿へ、宇宙の果てやミクロの世界へも一瞬のうちに移動できます。 そこは読む人が勝手に想像していい世界。
映画や舞台のような総合芸術では、観客は映像や音楽、演者が一体となった世界観を受け入れて楽しめばいいのですが、本の中には活字以外に何もないので読み手が自由に舞台を組み立てていけます。
だから同じ本を数年後に読み返すと、自分の成長によって全く新しい世界が拓けることだってあるんです。
さらに本の中では、実際に会うことのできない人、未知の生物、大盗賊、宇宙人とだって好きな時間に好きなだけ会話を楽しめます。
読書は、作者との対話であり駆け引きです。
笑わされたり騙されたり感動したりしながら読み進めることで、会話のセンスや考え方の論理性がみるみる高まります。
本好きな人と話していると、言葉の豊富さや話の進め方がうまくて楽しくなります。
どんな賞をとったってベストセラーになったって、心配は無用。 本の値段は変わりません。
好きな飲み物を横に置いて、想像の羽根を思う存分広げよう。 それが読書の世界の歩き方です。
便利ってなに?
我慢ってなに?
(令和元年11月22日)
昭和20~30年代、洗濯機や炊飯器が普及し始めた頃、意外にも一部の女性から家事の電気化に猛反対の声が上がりました。 いわく、「嫁たちがこんなもので楽をするのは許せない」(笑)。
けれど、そんな声はどこへやら、以後便利家電は瞬く間に私たちの生活に浸透し「便利ファースト」「我慢は不要」の時代がやってきました。
さて、歳のせいでしょうか。 ある人気キャラのアニメをテレビや映画館で見ていて、最近ちょっと違和感を感じるようになりました。 秘密の道具が、あまりにも気前よくポケットから出てくることに対しての疑問です。
「これ便利ですよ」 「これがないと困りますよ」 「次はこれですね」 という具合。
現実の世界を見ても、プラモデルは今やセメダインなど使わず、あらかじめ切り取られた部品を番号順に組み立てるだけ。 暗記カードも歴史年表も、きれいに印刷されたものを切り離すだけ。
数年後に翻訳機がもう少し進化すれば、外国語を勉強する意欲さえなくなるでしょう。
便利が悪いのではありません。 その中で「我慢することを見失う」ことが危険なのです。
確かに文明は進化しました。 けれど、便利さは人間を退化させます。
エジソンや本田宗一郎やスティーブ・ジョブズが偉大なのは何かを残したからではなく、たゆまない努力が人間を進化させる唯一の手段だということを身をもって示したからです。
子供たちに語りかけてください。
「不便だな」と思うことに、どんどん挑戦しよう。 「いま我慢してるな」と感じたら、自分を愛(いと)おしく誉めてあげよう。
翻訳機とひと味違う英訳文を作ってみたり、粗削りなプラモデルを作ったり、こつこつと不器用に単語カードを作ったりして
不便さをたくさん味わおう。
「そうそう、のび太クン。それが未来へのただ一つの道なのだよ」
土下座の文化
(令和2年1月24日)
「日本人は仕事の間、水も飲まないの?」 と、外国の方に尋ねられたことがあります。
私たちがよく「仕事のあとのビールは美味しい」と言うのを聞いて、よほど喉が渇いているのかと思ったそうです。
長時間の正座も、長年にわたる下積みも、「苦あれば楽あり」という黄門さまの教えそのもの。
そう言えばかの時代劇では、印籠を振りかざしたとたん悪人のみならず善人も土下座するという、もはや外国人には理解不可能な結末。
現代のドラマにも土下座や滅私奉公を連想させるシーンやセリフがよく登場します。
耐えることを美徳とするこの風潮 「土下座の文化」 とでも言えるでしょうか。
その日本で今、歴史上初とも言える庶民による革命が始まっています。
宅配業者やコンビニ店主、小規模店舗に端を発する営業時間短縮(営業の質的向上)の動きです。 拡大再生産から一転して縮小の中に安定を求める、まさに革命的な経営戦略の転換。
学校でも先生方の負担を軽くするための動きが始まっているようで、今後も大いに進めてほしいと願ってやみません。 教育の現場は将来を託す子供たちの成長の場でもあるからです。
ただ気になるのは、その動きが 「働き方改革」 という政府・行政主導の政策キャンペーンにすり替えられないかということ。
「メタボ対策」「プレミアムフライデー」「プレミアム〇〇」等と同じように選挙向けの打ち上げ花火に終わらないよう、今後の動きに注目していきたいと思います。
今年、県内の家電量販店やショッピングセンターでも、元日休業に踏み切ったところがありました。
働き方を変えることは、生き方を変えること。 今回の正月は家族でのんびりできたと大喜びした子供たちも多いはずです。
令和になってはや9か月。 そろそろ土下座から立ち上がって前を見つめるときかもしれません。
休んでたって、ビールは美味しいっ。
禍(わざわ)転じて
(令和2年3月27日)
先月のコラムで「あとは試験会場に臨むのみ」と書いたら、掲載直後にまさかの休校措置(汗)。
以来、家庭学習に関するお問い合わせをいただくようになり、現在も続いていますので、締め切りギリギリに今回の原稿を書き直しました。
思いがけぬ長期休暇もあと2週間ですが、「禍を転じて福と為す」 の精神で最後まで有意義に過ごしましょう。
何よりお願いしたいのは読書の習慣を毎日の生活に組み込むこと。
小学校低学年なら漫画入りの本でもかまいません。 高学年以上であれば子供向けという制限を無視して、どんな本にでもチャレンジ可能。
ご家庭で眠っている本、話題の本、好きな作家の本など、けじめ無用の乱読でかまいません。
一例として中学生以上の若者には、森博嗣さんの「喜嶋先生の静かな世界」という本を紹介しておきます。 媚びずおごらず、まっすぐな青年の探求心がすがすがしく心に響きます。
書評や発行数などあてにせず、文体の好みで選んだ方が好きな本に出会える確率が高くなりますよ。
ちなみに森博嗣さんは私の後輩にあたりますが、面識はありませんので宣伝はしません(笑)。
長い休校のあとの新学期に不安を抱く生徒さんやご父兄も多いようです。 小中学校の勉強では予習より復習が大事と考えて、基礎がために集中しましょう。
重要なのは「一問一問確実に解いていく」という心がまえ。
すべてのゴールを決められるプレイヤーはいませんが、それでも「成功率5割でいいや」という気持ちでは一発も入りません。
知識の量より、まず姿勢を正すこと。 身に付くまで”ながら勉強”などもってのほかです。
目の前に光あふれる季節。 健康な心と体で新学期を迎えられますように。
未知からの教訓
(令和2年5月22日
20世紀始め、「奇跡の薬」と呼ばれたペニシリンやスプレプトマイシンなどの抗生物質(正しくは、こう・せいぶつしつ)の発見によって、感染症は克服されたと言われていました。
けれどその後、人間の活動範囲が地理的にも科学的にも拡大した結果、次々に未知のウィルスと遭遇することになります。
ウィルスは他の生物に感染しなければ増殖できないため、彼らもまた生き残りをかけた必死の闘いを挑んできます。
この百年は、知恵と汗を絞って人類が辛くも勝利を続けてきた歴史であり、私たちはそこから多くのことを学んできました。
学校に来てはいけない。 多人数で遊んではいけない。 買い物にも外出にもついて行かないように。 子どもたちにとって、権力によって行動を制限されることなど初めての経験でした。 自由が当たり前に担保されるものでないことを、身をもって体験したことでしょう。
この機会に、単調な日々のありがたさや周囲への思いやりについて、お子さんと話し合ってみるのもいいかもしれません。
また、感染有無の判断に2週間を要することから 「未来は今日の選択によって決まる」 ということを、改めて実感する春でもありました。
毎日の消費が地元の商店や観光を支えているということや、自分の行動が社会に直接影響するということも、子供たちはよく理解できたようです。
ちなみに、これから支給される支援金等の財源の多くは国債、すなわち次世代からの借金ということになりますが、それもまた今日の選択の結果です。
新たな「奇跡の薬」の登場まで長期戦は避けられません。 今のところ不要な接触を避けることが何よりのワクチン。
医療のお手伝いはできないけれど、自分の身体を守ることが最大の社会貢献です。
新しい価値観と生活習慣を身に付けること。 それが過去の闘いと尊い犠牲からの 「次の波への教訓」 ではないでしょうか。
ホームステイは坊さまと
(令和2年7月24日)
決まりごとは語呂合わせにして覚えるのが一番。 私は最近、外出時に 「坊さまとステイしよう」 と唱えて忘れ物がないかチェックしています。
その内容は 「ぼう(帽子) さ(財布) ま(マスク) と(時計)す(スマホ) てい(ティッシュ) しよう(消毒剤)」
最初の「ぼう」は防暑、防虫、防犯など、その都度必要なものに置き換えています。
私流の「without corona」(ウィザウト・コロナ=コロナ退散)の合言葉です。
この機会に、小中学生のために私が作った語呂合わせをいくつかご紹介しましょう。
① 旧歴12か月は、「向きやうさみふ、鼻が獅子」
む(むつき) き(きさらぎ) や(やよい) う(うづき) さ(さつき) み(みなづき) ふ(ふみづき) は(はづき) な(ながつき) か(かんなづき) し(しもつき) し(しわす)」
② 平安時代の宗教は、「てんさいひ(天才飛)しんくうこう(新空港)」
「てん(天台宗) さい(最澄) ひ(比叡山延暦寺) しん(真言宗) くう(空海) こう(高野山金剛峰寺)」
③ BTB溶液の変化は、「さき・ちみ・ああ」
「さき(酸性で黄色) ちみ(中性で緑) ああ(アルカリ性で青=リトマス紙と同じです)」。
ネットで検索すれば、他にもいろんな語呂合わせが見つかると思います。 印象に残りやすいものに作り変えて覚えましょう。
暗記の秘訣は、まず忘れるのを怖がらないこと。
「覚えて忘れる」を繰り返すことで、脳がこれは自分にとって重要なことだと勝手に判断してくれます。
次に暗記しようとしている内容に興味を持つこと。
覚えようと緊張するよりその内容を楽しむ余裕がカギです。 大げさにうなづきながら読むのもお勧め。
料理人は味の記憶、ダンサーは振り付けの記憶。 どんな仕事でも、記憶力のちょっとした差が大きな差を生みます。
人を褒めるということ
(令和2年9月25日)
ある有名な講師が学校で講演したあと、帰りぎわに一人の生徒を指さして、「あの子はきっと伸びますよ」 と担当の先生にささやきました。
その後、指名されたその生徒は本当に成績が伸びたそうです。
もちろん当の生徒は講師の言葉を知りませんし、先生が特にその生徒を熱心に指導したわけでもありません。 また、講師がその生徒を選んだのにも特に理由はありませんでした。
それでもこの講師の言葉は大切なことを示してくれています。
「怒るより褒めて伸ばそう」 最近では流行のように、どの本にもそう書かれています。 けれど、ただ褒めるだけで子供や新入社員が成長したと感じている人は少ないのではないでしょうか。
先ほどお話した生徒が伸びたのは、生徒が変わったからではありません。 実は先生の生徒を見る目が変わったからなのです。
指名された生徒を見るたびに先生は講師の言葉を思い出し、この生徒には伸びる素質があるのだと思ったに違いありません。
そしてその先生の変化を、生徒はきっと感じたはずです。
人は過度な期待には反発しますが、信頼には全力で応えようとするものです。
「はたち過ぎればただの人」 とばかり、成長に伴ってお子さんに勝手なレッテルを貼ってしまっていませんか。
学校の先生方にはとてもかないませんが、私も生徒さんとの二人三脚を繰り返して、すべての子供たちにとてつもなく大きな可能性と未来があることを何度も実感してきました。
卒業した生徒さんに何年経ってお会いしても、それが間違いだったとガッカリしたことは一度もありません。
怒るにせよ褒めるにせよ、まずはお子さんに貼られたたくさんのレッテルをはがして、その可能性を見つめ直すことから始めてはいかがでしょうか。
紅組、がんばれ!
(令和2年11月27日)
あとひと月あまりで大晦日。 今年は紅白歌合戦も無観客ということで、例年より落ち着いた年越しとなるでしょうか(笑)。
さてその紅白歌合戦。
昭和26年1月3日(当初は正月のラジオ番組だったんですね)から平成16年までの計55回の勝ち数は、白組27回に対して紅組28回とほぼ互角ですが、翌平成17年から昨年の第70回までの計15回では、白組12回に対して紅組は3回しか勝てていません。
可愛い女性グループがたくさん出場しているのに、どうして?
今や 「可愛い(kawaii)」 という単語は日本文化の象徴として英語にもなっているほどです。 けれどこの言葉には、日本人に対するもうひとつの見方も含まれています。
「愛される=選ばれる=守ってもらえるという価値には、相手を絶対に脅かさないという保証が含まれています」 とは東大名誉教授上野千鶴子さんの言葉ですが、これが世界から見た日本の印象に近いかも。
そう言えば政府の対米政策が、海外メディアから 「媚びる外交」と揶揄されたこともありました。
コロナ騒ぎの中で、共に元サブリーダーがリーダー昇格となった日米両国。 主張を美徳とする白組大国に対して、日の丸を背負う紅組日本の秘策がまさか「可愛い外交」では勝ち目はありません。
昨年公開された松竹映画「お帰り寅さん」に後藤久美子さんが出演されました。 国連難民高等弁務官事務所UNHCR(←テストに出るので覚えておこう)のスタッフという難しい役柄でしたが、彼女の生きざまそのものを投影した実に頼もしい(いろんな意味で)女性象でした。
これからの時代、集団に埋もれ忖度と保身に長けることなく、正当な自己の存在意義を堂々と表現できる日本人の姿を若者たちには目指してほしいと願っています。
可愛さの中に埋没することなく、頑張れ紅組!
男たちからのメッセージ
(令和2年8月28日)
KinKi Kidsの堂本光一さんが自らの舞台再開にあたり語ったひと言が印象的でした。
「Show must go on”(ショーを続ける勇気)」 より 「いつでもショーを中止する勇気」を持とうというのです。
もちろん新型コロナの感染対策を念頭に置いての覚悟を込めた発言。
「大勢の会食を避けるって、何人までならいいの?」 「Go Toの中で自粛って、どうしろっていうの?」 「あの店、感染対策はしてくれてるの?」 ・・・
行動の判断基準を他人任せにする社会への、新鮮なメッセージでした。
さて、カラオケ解禁を待つ間にレパートリーを増やそうとヒットチャートを検索したところ、女性にヨイショする歌の多いのにビックリ。
「まったく近頃の男どもは」とあきれていたのですが。 いや待てよ、自分たちも若い頃そんなことを言われてなかったっけ?
思いついて「百人一首」を開いてみたら、そこにも女性を喜ばせるような歌が満載でした。
「しのぶれど 色に出(い)でにけり わが恋は ものや思うと 人の問うまで」
(君が好きだって黙ってたのに 隠しきれなくてバレちゃったよ)
「恋すちょう わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思いそめしか」
(誰にも言わないのに あなたを思う気持ちがうわさになっていた)
「逢い見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思わざりけり」
(あなたとデートしたら ますます好きになってしまった
今までの気持ちとは比べものにならないくらいなんだ)
どれも男性が詠んだ歌ですよ。 まったく昔の男どもは・・・(笑)。
古来、男ども、いや男たちはかなわぬ願いを歌に託して届けていたんですね。 そしていつの世も、思いをこめた言葉は多くの人の心を結び付けてくれていたのでしょう。
そんなことを考えながら、今夜はしんみりと「くちなしの花」を口ずさみましょうか。
もうひとつの道順
(平成29年1月31日)
”How do I get to Carnegie Hall?”
(カーネギーホールには
どうやったら行けますか)
”Practice,practice,and practice.”
(練習あるのみ)
という昔から伝わるジョークがあります。
ちなみにカーネギーホールとは、ニユーヨークにある創設125年を迎えた音楽の殿堂ですがそのホームページにこのような案内文が掲載されています。
「有名なジョークにあるように、カーネギーホールに行くには生涯にわたる練習が不可欠であるが、もうひとつ、次のような簡単な道順によっても到着することができます」(笑)
この時期の恒例行事として、まず胃が痛くなります。 今季は例年より早く、昨年のうちになじみの片町の胃腸科で胃カメラによる検査を済ませました。 職業病とはいいながら、待合室に座っている誰もが教師のように見えるのは気のせいでしょうか。
さて、受験生の皆さんは今まで苦手科目の克服を課題にしてきたと思いますが短期の戦術としてはむしろ得意な分野で確実に得点を確保することを目標にしましょう。
アイススケートや体操の選手は、決してみな最高得点を目指しているわけではありません。 実力に応じて目標点を決め、そこに向けて演技を組み立てています。
満点をとったら授業料免除という学校でもないかぎりこの戦術でいきましょう。
ときどき間違えるところ、少しでも苦手意識の残るところそこを確実に、かつ慎重に、です。
最後に胃の痛みをやわらげるジョークをひとつ。
”アー・ユー・レディ?”
”ノー,アイ・アム・ア・ボーイ”
・・・ ひと言多いのよと
編集者によく言われます。
On your mark.
(平成29年2月22日)
軽い気持ちで新聞社の取材に応じていたら、あろうことか紙面で写真や年齢まで記事になってしまいました。
生徒さんやご父兄からも突っ込まれて、今までのイメージが(どんな?)・・・
もうおしまいだ~
ちなみにこの「もうおしまいだー」というのは、「もうぬげない」 という絵本(ヨシタケシンスケ氏・著)の中のセリフです。
爆笑間違いなしの絵本ですが、書店で検索してもらったとき
「この種の本はちょっと」 と変な目で見られてしまいました。
タイトルが ・・・(笑)
閑話休題(それはさておき)。
入試・就職などを目前にすると、なんだか自分の将来が二股に分かれるようで不安になりますね。
けれど実際は、どんな人もただひとつ長い一本道を歩いているのです。
そしてその行先を決めるのは自分自身の性格と今までの選択だと私は思います。
「努力は裏切らない」という言葉は、望みどおりの結果が保証されるという意味ではなくて、努力した分だけ視界が広がるというふうに解釈すればいいでしょう。
前がよく見えれば、「もうおしまいだー」なんてことにはならないはず。
目の前に君たちを待つ一本の白線。
これから何度も何度も、石灰で書かれたその白線は現れることでしょう。
入学式、入社式、結婚、そのたびに、小学校の運動会で初めてそうしたように、膝を折って、白線に両手を広げて、顔を上げることです。
夜明け前のヒナのように、ただ殻を破ることだけを考えて。
On your mark. (位置について)
Get set. (ようい)
G0! (ドンッ)
チム・チム・チェリー
(平成29年3月22日)
「これから毎日、みんなで教室の掃除をしよう」 と冗談で言ってみたら、「学校はみんなのものだけど、この家は先生のものだから」 と、にべもなく断られました(笑)
・・・ さて、気をとりなおして。
もうすぐ4月、春は誰でもフレッシャー。
新入生も新入社員も、まず始めは「お掃除」からです。
人の嫌がる仕事だから新人に掃除をさせるわけではありません。 掃除の様子を見れば、その人の気配り、心遣いがよくわかります。
また、掃除をしていると実際に細かいところに気がつくようになります。
たとえば、家の階段でゴミが目についたら、家族で話し合って、1回上るたびに一つだけゴミを拾うことにしましょう。
階段の上に小さなゴミ箱を置いておくと実行しやすくなります。
定着してくると、きっと一つでは物足りなくなって2つ、3つと増えていきます。
自分から探す姿勢、失ったものに気づく心は、掃除から学べます。
話は変わりますが、ミュージカル映画 「メリー・ポピンズ」 でもお馴染みのように、イギリスでは煙突掃除人に触れると幸せになれるという言い伝えがあります。
寒いお国がらで暖炉を大切にする習慣と、火事の原因を取り除いてくれる職人への感謝から生まれた習慣だそうですが、実にイギリス人らしい発想だと感心します。
余談ですが、この映画で主人公を演じたジュリー・アンドリュースさんは、ディズニー映画で唯一アカデミー主演女優賞を獲得した女優です。
彼女の歌う「2ペンスを鳩に」という挿入歌は、何度聞いてもジーンときますね。
心の掃除に最適な映画です。
最後に一句
「背やけした 断捨離の本 捨てられず」
地球の裏のオリンピック
(平成28年7月27日)
今回は、間近に迫った南米初のオリンピックの豆知識を。
リオはサンパウロに次ぐブラジル第二の都市。
かつては首都でしたが、植民地時代のイメージの払拭、ならびに国内の所得格差の解消などのため、1960年に内陸高地のブラジリアに首都が移転(遷都)されました。
リオ・デ・ジャネイロという地名は、英語風に言うと ”リバー・オブ・ジャヌアリ” (1月の川)。 ポルトガルの探検家がこの土地を発見したのが1月1日だったことから、この名がつけられたということです。
ところで、南半球では今が涼しい季節ですが、なぜ4年後の東京オリンピックは真夏の7月末に開会するのでしょう?
・・・ 今やオリンピックは、テレビの放送権料と企業からのスポンサー料に支えられています。
欧州のサッカーリーグ、全米フットボールリーグ、野球のワールドシリーズ等と視聴率を争わないように、この過酷な日程は最初から決まっているのです。
全裸で行われていた古代オリンピックとは大違いですね。
ちなみに、走り幅跳びの世界記録は 8m95cm、高跳びは 2m45cm。 実際にその長さを測ってみると、とても同じ人間の力とは思えません。
では、最後に小噺をひとつ。
「今度の東京オリンピックまでに、都内最古の原宿駅にもエスカレーターがつくんだってね」
「でも、四谷だけは階段(怪談)に限る」
おあとがよろしいようで~♪
短時間で楽しめるカードゲーム
(平成28年9月7日)
① ドブル DOBBLE
どの2枚を選んでも同じ絵柄がひとつだけあるという不思議なカードを使います。 キッズ向けのものも出ているので、4歳くらいから遊べるでしょう。
② 虹色のヘビ
色を合わせてつないだヘビの争奪戦。カードをめくるときドキドキします。 虹色のヘビが出たら? 幼稚園児には、これがいちばん好評です。
③ レシピ
決められたメニューに必要な食材を集めるトランプ型のゲームです。 カードのイラストが可愛くて、実際の買い物や料理にも興味を持てるはず。
④ イチゴリラ
神経衰弱をパズル感覚で楽しめます。 慣れるまでは、まぎらわしいカードを除いて遊んでください。 5歳くらいから遊べますが、大人にも適度な刺激に。
⑤ ハリガリ HALLI GALLI
簡単な足し算の知識が必要です。 チーンという音が楽しくて、知らない間に暗算上手に。 3人以上でどうぞ。
⑥ ぴっぐテン
ハリガリに慣れたら是非挑戦しましょう。大人でも盛り上がります。
動画サイトで実際の遊び方が見られるものもあります。 またお子さんの年齢に合わせて独自のルールを決めて、ハンデをつけてもいいと思います。
幼児期から家庭でのゲームの楽しさを知っていれば、やがてウノやトランプ、将棋、囲碁にも興味を持てるかもしれません。
ちなみに将棋に関しては ”どうぶつしょうぎ” 囲碁に関しては ”ななろのご(七路の碁)” という幼児向けのものも
ありますので、お試しあれ。
「習うより慣れろ」で乗り越えよう!
(平成29年6月28日)
英語を勉強したいという生徒さんに私がまず言うのは、「挨拶もできない人間に言葉は学べない」 ということです。
前回お話ししたように、会話には単語や文法の知識以前に、まず何かを伝えたいという意志が必要です。
パソコンやスマホでしか交流できない。 そもそも誰かに伝えたいものを持っていない。 そんな人間がたとえどれだけ流暢に英語を話しても相手には何も伝わりません。
通訳者、翻訳者になりたいと言っていた生徒さんにも同じようなアドバイスをしたことがあります。
通訳、翻訳を目指す人にとって、英語がうまいということは当たり前のことです。
全く文化の異なる他人に何かを伝えるためには、もっと広い範囲の知識や人生経験、さらにユーモアのセンス、思いやりの心が必要です。
夏目漱石が教師時代、”I love you.” という英文を ”月が綺麗ですね” と訳したというもっともらしい作り話があります。
当時の日本ではまだ ”愛している” という言葉が一般的でなかったという事情もありますが、美しい日本語をたくさん遺してくれた漱石らしい逸話です。
日本の英語教科書は世界でも評価が高く、他国でも使用されています。 英会話教室で学ぶことも大きな力になるでしょう。
けれど、それらと縁のない人でも外国人と交流することは十分に可能です。
まず心理的な壁(恥ずかしさ、不慣れなど)を乗り越えましょう。
そうしなければ、何年英語を勉強しても外国人に話しかけられるたびに腰が引けてしまうでしょう。
末筆ながら、いつかどこかのテレビ局で、一般的な外来語と日本語だけで外国人と交流するという番組コーナーを作っていただけたらと思います。
そろそろなんとかして
(平成28年9月28日)
長期休暇のたびに繰り返される渋滞と旅行代金の高騰。
小売店では休日割引をするのに、旅行業界は値上げするの?という疑問も。
でも限られたスペースに大勢の客が殺到すれば、需要と供給のバランスから一時的に価格が高くなるのはもっともな話です。
ただし、消費者の足元を見て価格をつり上げるようなことをすれば、長期的に信頼と魅力を損なうことになりますが。
混雑によるガソリンや時間の浪費は膨大なものでしょう。
一方で、閑散期にはガラガラの設備とかさむ固定費用。
これらの無駄を抑え資源を有効に利用するために数年前、祝日法改正の議論が起こりました。
「ハッピーマンデーの廃止」と「ゴールデンウィークの地域ごとの分散」が大きなテーマでしたが、政争の中で議論はうやむやになり、それ以来全く検討されなくなりました。
たとえば、夏休みを5日減らして6月に月曜から金曜の休みをとる。
または、前後期の境の秋休みをなくしてその分を11月にとる。
夏休み中の月曜日だけ授業をして、その分夏休みを早く始める、等々。
学校ごと地域ごとに、せめて年に3~5日間休みをずらせば、あるいは欠席にカウントしない有給休暇のようなものを生徒に与えれば、平日の家族旅行という新しい需要が生まれると思うのです。
笑われそうですが、前後期制の導入による秋休みがさほど抵抗なく実現したのですから、社会全体で考えればあり得ない話ではないと期待しています。
追記 ・ この原稿を書いている最中、「GPS衛星みちびき3号」と「黒潮発電」の知らせが届きました。 まさに地球規模の資源再活用への一歩。
画期的な発想によって時間と資源をより効率よく利用するための試みです。
ネバーランドはどこに?
(平成29年10月25日)
子供の頃、初めて一人でブランコに乗れたとき、運動会で一等賞になったとき
何かに感動したとき、家族にその気持ちをどうやって伝えようか、ワクワクしながら家路についたことはありませんか?
一人で何度もなわとびを練習したのも、どこまでもトンボを追いかけたのも、夢中になって本を読んだのも、そのワクワクを知っていたからだじゃありませんか?
子供が自慢話を始めたときが、チャンスです。 当たり前のことでも、あり得ない話でも、「誰でも知ってる」「そこは違う」などと言わないで一緒にワクワクして聞いてみましょう。
子供は会話の中で自分の行動とその結果を再確認しています。 話しているうちに、胸の奥が少し熱くなるのがわかります。
それが学習の喜びだと、実生活の中で学んでいるのです。
もちろん親が喜んでくれれば、それにまさる励ましはありません。
反対に、うちの子は積極的でない、自分で判断できない、とお困まりの方。
もしかしてお子さんが小さい頃、「どうせできないくせに」「ほら、また失敗した」 「どうして余計なことばかりするの」なんて子供に言っていませんでしたか?
新入社員なら、間違いなくやる気をなくす叱り方ですよ(笑)
でも、取り返しがつかないと反省する必要はありません。 親が本音で接すれば、子供はいつでも応えてくれます。
教育方針なんて変える必要はありません。
今度お子さんが宇宙飛行士になりたいと言い出したら、少しも騒がず 「どうして?」 「すごいね」 と、子供にかえったつもりで話についていきましょう。
子供の頃、近所の公園があんなに輝いていたことを思い出して。
・・・ネバーランド(どこにもない国) は、そこにあります。
心は国境を越えて
(平成29年12月25日)
「音楽に国境はない」と言いますが、それを聞く習慣の違いは意外に大きいようで。
暮れになるとベートーベンの「第九」を聴くというのも日本だけの風物詩。
戦後日本の演奏技術や会場設備が劣っていたという事情と、大規模な合唱団を動員すればチケットが売りやすいという考えから次第に定着したそうです。
生前必ずしも人気のなかったベートーベン。 遠いお国での思わぬ歓迎ぶりにニタッと微笑んでいるかどうか。
クリスマスソングの聞き方にも、差があります。
もともとクリスマスソングはほとんどが讃美歌で、特に期間を限定するものではありません。
クリスマス・ウィークと呼ばれるとおり、ツリーを飾ったまま年を越すのが本来の過ごし方。
年の瀬のクリスマスソングもいいものです。ぜひお試しください。
ちなみに、我が国ではクリスマスは友人と過ごし、新年は家族と迎えるのが一般的ですが、欧米では逆です。
大晦日に「蛍の光」を歌うのは各国共通するところ。 けれど、そのタイミングに微妙な差があります。
日本ではお別れの歌として親しまれているこの曲。 本来はスコットランド民謡で旧友との再会を祝うものです。
英語圏の国々では新年を迎えたあと、新しい門出を祝って歌われます。
話変わって、間近に迫った冬季オリンピック。
オリンピック憲章には、記録や成績は個人の名誉であり、国別のメダル数を競ってはならないと書かれています。
国境なんて、ノミが犬の背中に線を引いているようなものだという笑い話を思い出します。
・・・そしていよいよ来春には、このコラムも10年の節目を迎えます。
今のところ特に表彰や式典等の予定はないようですので、この場をお借りして御礼申し上げます。
皆さん、ありがとう。
どうぞ、よいお年を(新春万福)
君だけの表彰台
(平成30年2月26日)
冬季オリンピックが閉幕しました。 2年後には東京(夏季)、そのまた2年後には北京(冬季)。 3大会連続のアジア開催となります。
にもかかわらずアメリカのテレビ事情に合わせた開催期間と競技時間、開会式の長い長いセレモニーにはうんざりしますが、そんなものを吹き飛ばすような感動をたくさん残してくれた大会でした。
メダルの色と数に大騒ぎするマスコミには決して登場しない寡黙な選手たち。 そしてスポーツマン精神にあふれるフェアプレイの数々が、まさに同じ期間、豪雪の処理に追われた私たちに明るい展望を与えてくれました。
ある飲食店で大型ビジョンの前に集まった応援団の中、「どの選手もみんな必死なのに、こんな暖かい所で椅子に座ったままで金メダルをとってくれなんて、申しわけなくて言えない」と話していたおじさんがいました。
私も昨年レディス駅伝の応援に行ったとき、苦しそうにハァハァと息を継ぎながら走る選手を間近に見て 「ガンバレ」 とはとても言えませんでした。
「無念の予選敗退」 「惜しくも銀メダル」 「メダルの数は史上最高」・・・
どれも、アスリートたちの見つめているものとは無縁の言葉です。
さて、豪雪の中、無事終了した私立高校入試。 そしていよいよ週明けに控えた県立高校入試。
それは多くの受験生にとって、生まれて初めてたった一人で臨む試練の場でしょう。
けれど、大切なのものはすでに一人一人の胸の内にあります。
この一年の努力こそが結果です。 それは点数でも評価でもなく、これからの長い長い道のりを照らす灯。
他人の評価に左右されるほど安いものではありません。
メダルの色は、無数にあります。大丈夫、顔を上げ胸を張って。
自分だけの表彰台を見つめて、ナイスプレイを。
つれづれなる10年
(平成30年4月25日)
北京オリンピックが開催され、大河ドラマ「篤姫」が放送された平成20年。 ある新聞に書かせていただいていたコラムの連載が終了しました。
そのあと、ファミールさんにお願いして始めたのがこの「塾日記」です。 最初に書いた原稿はこういうものでした。
☆よりによって
「先生、『よりによって』ってどういう意味ですか?」 中学1年のN君に聞かれて、いつものように大きな国語辞典を渡します。 「わかった。選んだ中から、また選んで決めたっていうことやね」とN君。
自ら調べたことを人に説明するという作業は、知識の定着にとても役立ちます。 それに電子辞書と違い、紙の辞書は類似語や前後の項目なども自然と目に入るので、興味が拡大します。
感心しながら彼の手元に目をやると、「次の言葉を使って短文を作りなさい」 という設問に、 「僕はよりによって、ふたば先生の塾に通っています」 と書いてありました。
☆みどりの花マル
「先生、結婚してるんか?」Kちゃんの質問は、いつもストレートです。 「うん、してるよ」 「ほんなら、私この問題やってるから、2階でご飯食べて来ていいよ」 ・・・思わず涙ぐむ瞬間です。(笑)
こんなこともありました。 「マル付け、赤ペンでなくていいよ」 「どーして?」 「赤ばっかり使ってると、先生のペン、赤いインクだけなくなるもん」
九九を覚えて、よほどご機嫌の様子。
もちろん、でっかい花マルをあげました。
あれからちょうど10年・・・
こういう連載は「気がついたら終わっていた」というのが理想的だそうですが、とりあえず今後ともどうぞよろしく。
おかえりポピンズ
(平成30年6月27日)
ミュージカル映画ファンにとって、うれしいニュースが続きました。
まずは「メリーポピンズ・リターンズ」の欧米公開が今年12月25日に決定!(日本公開は来年)
ディズニー映画でアカデミー主演女優賞を受賞したただ一人の女優ジュリー・アンドリュースによる「メリーポピンズ」の公開は1964年。
「リターンズ」はその続編で、成長したジェーンとマイケルを救うため、メリーポピンズが帰って来ます。
主演エミリー・ブラント、監督ロブ・マーシャル、ディック・バン・ダイクもカメオ出演とか。
次に、あのスピルバーグ監督による 「ウェストサイドストーリー」リメイクのニュース。
現在キャスティングを進めている段階なので公開はまだ先の話ですが、1961年に公開された旧作はミュージカル映画の最高峰だと断言できます。
マイケル・ジャクソン「BEAT IT」のプロモーションビデオのモチーフにもなりました。
もうひとつ、1968年にマーク・レスターの好演で話題になった
「オリバー」にもリメイクのうわさ。
「007スカイフォール」でアカデミー歌曲賞を受賞したイギリス人歌手アデルが、不運の娼婦ナンシー役で女優デビューかと言われています。
劇中歌「♪ウンパッパ」は一度聞いたら忘れられません。
以上の3作品、イギリスの作家の著作を原作としていることでも共通しています。
「メリーポピンズ」の原作はP.L.トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」。 その映画化に当たっての紆余曲折がそのまま「ウォルト・ディズニーの約束」 という映画になっています。
「ウェストサイドストーリー」の原作(翻案)は、言わずと知れたシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」。
「オリバー」はチャールズ・ディケンズの「オリバー・ツイスト」が原作です。
公開されたら、ぜひお子さんと一緒にお楽しみください。
クロアチアはどこに
(平成30年7月25日)
豪雪、地震、豪雨、そして猛暑・・・ まるで何かの映画のような年になりました。
今回の豪雨で被災された方が、「自分たちがどれだけ無知だったか思い知らされました。不幸を体験した人の悲しみがわかる人間になれました」 と語るのを聞いて、こんなつらい勉強もあるのかと悲痛な気持ちでした・・・
さて、先月は映画の話で終わってしまったので、今日は夏休みならではの親子学習についてご参考までに。
入り口はお子さんの好きな話題が最適。
「クロアチアって、どこ?」 「ジュラシックって、何?」 よく耳にする名前や言葉の意味を、一緒に調べてみましょう。
地図帳や小さな地球儀をリビングに置いて、日常的に手にする習慣をつけるのも長期休暇の有効な利用法です。
好奇心を通して見れば、知りたいことはどこでもたくさん見つかります。
知識は栄養と同じ。 親子一緒に味わいながら吸収しましょう。
タブレットやスマホをお子さんに触らせたくないという場合は、前もって調べておくか 「わからないけど、明日までに必ず調べておく」 と答えます。
家族そろってテレビを見る機会も多くなるでしょう。
生物・科学や地理・歴史に関する楽しい番組が意外と多く放送されていますので、是非一緒にご覧ください。
お勧め番組は(スポンサーのない局だけにします)
「ピタゴラスイッチ」 「ダーウィンが来た」 「地球ドラマチック」 「歴史秘話ヒストリア」。
特に何歳向けという縛りはありませんが、言葉が難しかったら補足説明をお願いします。
「ピタゴラ」には、自分で再現できる遊びもあります。
他に同局には、「ブループラネット」 「昆虫すごいぜ」 「超絶凄ワザ」 などありますが、放送は不定期ですのでオンラインなどでご覧になれる方はどうぞ。
もちろん民放各局にも、アニメやバラエティより面白い番組がたくさんあります。
フェニックスの涙
(平成30年9月26日)
新井白石(江戸中期の学者)は河村瑞賢(豪商)の孫娘との縁談にあたって、瑞賢から 「新居を提供する。研究費も援助させてほしい」 との申し出を受けました。
そのとき白石は、「幼い蛇の傷は目立たないが、いつか大蛇となったときその傷は誰の目にもわかるようになる」と言ってその申し出を丁重に断りました。
大志ある身だからこそ、元禄の世にあっても謂れのない報酬に甘んじてはならぬという強い信念を示す白石の逸話です。
たとえば近所の公園清掃でも、それでお金がもらえるようになれば無料で落ち葉を拾う人はいなくなるでしょう。
人間は甘いものが大好きな生き物です。 思わぬ利益が何度か重なるとそれが当たり前になり、利益を得られないとまるで自分が損をしたように感じるようになる。
これを”既得権益(きとくけんえき)”と言います。
さらにそれが昂じると、所属する組織を我が物と勘違いし、法外な要求や言動を当然のように押し通そうとするようになります。
白石はこれを強く自分に戒め、矜持(きょうじ=プライド)を保ったのでした。
今話題となっている政界やスポーツ界の忖度・パワハラ問題の根底にも、この”既得権益”があります。
スポーツ界の不祥事発覚の発端となったN大学。
いつまでも立ち上がろうとしない学生や
最初から「報復が怖いです」と逃げ腰の職員。
そのあと堰を切ったように次々と明らかになる組織=集金力=既得権益の構図にあきれるばかりの半年でした。
一人会見に臨んだN大フェニックスM選手の背中には、どれだけの不条理と無念がのしかかっていたことでしょう。
フラッシュの閃光と好奇の視線を全身に受け、じっと涙をこらえている幼い蛇(青年)の姿が忘れられません。
ラスト・クリスマス
(平成30年12月24日)
ワム(WHAM!、イギリスの二人組ミュージシャン)の 「ラストクリスマス」 がヒットしたのは、もう34年も前のこと。
ムード溢れるメロディーと歌声ですが、ラストクリスマスとは最後のクリスマスという意味ではなく去年のクリスマスという意味。
「去年のクリスマス、君にこっぴどくふられたけどもうだまされないぞ。 来年はもっとましな女を見つけるさ」 という穏やかならざる歌詞にもかかわらず、あの頃の私にはその開き直りがとても頼もしく感じられたものです(笑)
空威張りしたって過去は変えられない?
いえいえ、何かを成し遂げた人々はそろって 「あの失敗のおかげで過ちに気が付いた」 「あのときの悔しさがバネになった」 と過ぎた日を振り返ります。
エジソンは 「1万回失敗したのではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」 と自らを励まし、「つねにあと1回」 を繰り返して失敗を偉大な功績に塗り替えました。
(ドリカムの歌にも引用されていますね)
過去を「悔い」のままにしておくか「貴重な教訓」とするか。 それはその後の行い次第。 どんなにみじめな敗北も、上を向いて挑戦した結果であればそれは必要な試練に違いありません。
人生はやったもん勝ち。
必ずやってくる未来(あした)は、過去(きのう)を輝かせる魔法の杖です。
残念なことに、ワムのボーカル、ジョージ・マイケルは一昨年の聖夜12月25日に亡くなっています。
3回忌を迎えて今夜ばかりは穏やかな師走のひととき
彼のやさしい歌声を聴きながらこの原稿を書いています。
・・・それでは皆様、どうぞ心豊かなクリスマスを。
そして巡りくる新たな年、新たな時代が
思い出を美しく輝かせるものでありますように。
「♪今夜はベッドの中で、羊の代わりに幸せを数えよう」
(映画「ホワイトクリスマス」より)
スカートとスピーチは・・・
(平成30年12月24日)
「短い方がいい」 と続けると女性に叱られそうなので、「程よい長さに」 と言い換えておきます。
ちなみに英文では、”A good speech should be like a woman's skirt.” (よきスピーチはスカートの如く)
イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルの言葉とも言われていますが、真偽のほどはわかりません。
残念ながら日本の学校ではスピーチを専門に学ぶ機会がなく、言葉で夢を語るべき政治家や実業家の口からさえ名演説を聞いた試しがありません。
和を尊び身の丈をわきまえるという古い教えが、スピーチの進歩を遅らせているのかも知れません。
個人的な感想ですが、式典などでのスピーチに関しては、室内で3分、戸外で1分というのが程よい長さではないでしょうか。 それ以上話すには、30秒に一度会場を沸かせるほどの相当な話術が必要です。
まして結婚式や運動会など同じ場所で話す内容はみな似たような内容になりがちですから、簡潔なスピーチほど印象が強くなります。
私の心に残っているスピーチは、中学の校長先生の 「余暇の善用」 というたったひと声のスピーチと、大学のゼミの指導教官がしみじみと話された 「君たちの成長だけが、ご父兄への唯一の恩返しです」という言葉です。
以来、私は結婚式などでスピーチを頼まれると、自己紹介と挨拶、贈る言葉、合わせて1分以内にとどめることにしています。 毎月書かせていただいているこのコラムも、最初長々と書いたものを黙読1分音読2分を目安に削っています。
また、祝いの席で乾杯の音頭を依頼されたら、気の利いたひと言だけにして余計なスピーチはしない方がスマートです。
スピーチ好きな人、ホントにごめんなさいっ(>_<)
面倒を知らない子供たち
(平成31年4月24日)
「オリンピックにeスポーツって有り?」と生徒さんに聞いたところ、なんと賛成意見がほとんど。
その理由は、「怪我しない」 「余計なコミュニケーションがいらない」 「清潔」 「根性とか言われない」 「準備が簡単」 等々・・・
聞いているうちに、昔外国のドラマで見た 「戦争を怖がらない未来人」 というエピソードを思い出しました。
eスポーツ(electronic sports)。 それは、環境の制限を受けず、危険もわずらわしさもなく相手との接触も最小限という、まさに「面倒」知らず「怖さ」知らずのスポーツです。
密な人間関係と古い精神論を嫌う若者から支持を得て、体験でなく消費としてのスポーツとして全世界に広がりつつあります。
金が動くところに企業とマスコミが集まるのはお約束。 すでに世界各地のスポーツ大会で、正式種目として導入されています。
一方、「シンギュラリティ(Singularity)」 という言葉があります。 ひと言で言うと、人工知能(AI)が人間の知能を超える時点のこと。
その後は、加速度的にAIが学習を繰り返し、科学・芸術両分野で人類に代わって地球の文明を進化させると言われています。(それを「進化」と呼べるならば)
一説によると、それはもう26年後のこと(2045年問題と呼ばれます)。
そのとき私たちが目にするのは、各国代表の機械同士が縦横無尽に競い合う新しいオリンピック、そして人間の介在しない新しい戦争の姿でしょうか。
今こうしている間にも、彼らは超高速で情報処理と演算を進めており、その日は間違いなくやって来ます。
令和元年生まれの赤ん坊が家庭を築き始めるその日まで
どうか「面倒」と「怖さ」を厭(いと)わない人間であってほしいと願うばかりです。
どこでもドアを開こう
(令和元年6月28日)
昨年秋に出版された稲垣えみ子さんの「人生はどこでもドア」という本を繰り返し読んています。
朝日新聞本社社会部デスクとして橋下徹氏らと激しく対立する一方、独特なアフロヘアでも注目を集めた著者が、突然職場から身を引いたあと何のツテもないフランスの田舎町で民泊に挑戦するという実録小説。
ストーリーには触れませんが、「どこにいても同じように生活する」 「ガイドブックに頼らない」 「言葉は現地で学ぶ」 という彼女らしい精神論と実践力に勇気づけられます。
(以下、稲垣さんの本と関係ありません)
オリンピックを控えて改めて外国語を学ぶという人が増えているのはうれしいことですが、日本に来られた外人さんに喜んでもらうために私たちが気を配ることは他にもあるような気がします。
島国・単一民族という環境で育った私たちは、残念ながらフレンドリーさが欠けています。
道を譲られても、体が触れても黙ったまま。 私自身、買い物に出て家に帰るまで一言も口にしないということが珍しくありません。
外国人と親しくなる秘訣は、会話力よりも毎朝「元気かい?」と声を掛け合えるようなオープンな心だと言った人がいます。
日本で英語が使われていないことはみんな知っています。 目が合ったら、「ハーイ、こんにちは」で十分。
道を聞かれて困ったら、とりあえず進む方向を指させば、そのあとはまた他の人に聞くでしょう。 あるいは案内所か学生さんを探せばOK。
中途半端でも、何もしないよりはまし。 向こうも必死で話しているのですから、逃げたり怖がったりだけはやめましょう(笑)。
コミュニケーションとは、心と心の響き合い。
おもてなしは、心の扉を開くことから始まります。
歴史が教えてくれる
(令和元年8月30日)
(豆知識)
わが国では太平洋戦争の終戦日を8月15日としていますが、厳密には日本政府がポツダム宣言の受諾を連合国に通告した8月14日をもって大戦は終結しています。
また、欧米では日本がポツダム宣言を踏まえて降伏文書に調印した9月2日を対日戦勝記念日(VJ Day)としていて、現在日本で使用されている高校の日本史教科書の中にはこの日を終戦の日と記しているものもあります。
第二次世界大戦における全世界の犠牲者数は総計5000万人以上。 一説には8500万人とも言われます。
戦争は何故起きるのか、その答えは無数にあります。
巨額のお金・利権が動くから。 今の体制のままでは都合が悪いから。 次の戦争が始まるまで敗戦国と呼ばれ続けるから。 新開発の武器を誇示したいから。 領土問題、貿易摩擦、武力衝突、過去の遺恨、等々…。
「戦争を好まない人々」 がいるのと同じだけ 「戦争が必要な人々」 もいて、戦争も平和も長続きしないというのが歴史的な事実です。
わが国が歩んだこの74年間は、人類史上最も安全かつ豊かな奇跡に等しい年月に違いありません。
けれど、各国の指導者たちの言動が急速に「自国ファースト」へ向かっている昨今、その奇跡的な幸福を脅かす危険な現象が広がりつつあります。
それは、政治・経済の行き詰まりをリセットするために、指導者たちが批判の矛先を外敵に向け支持率を上昇させる目的で演出された国家間の対立です。
漁夫の利を狙う第三国の情報操作もあるでしょう。
「戦争反対」を何度唱えても、戦争はなくなりません。 目の前の情報をしっかりと見極め、冷静に行動することが必要です。
敵対しているように見える国が、本当は手を繋ぐべき相手なのかもしれません。
数千万の失われた命が、今そのことを教えてくれているように思えるのです。
誰も言ってはならぬ
(令和元年11月23日)
「あなたは女性に親切だから」、そう言われた男性は間違いなく貴女にやさしくなります。 「お前は怠け者だ」と言われた子供はすぐに怠けるようになります。
というような話を以前書きましたが、言葉のチカラは自分自身にも大きな影響を与えます。
最近の若者がよく使う3つの言葉。使わないよう、使わせないよう
ご注意ください。
① 「めんどくさい(うざい)」
これを言うと、目の前の仕事(勉強)が本当に面倒くさくなるから不思議です。 困難な仕事はまるで山のように見えますが、実際は小さな作業の積み重ね。 目の前の仕事をひとつずつこなすだけです。
② 「どっちでもいい」
責任を転嫁して、リスクから逃げてはいけません。 負け犬とは、闘いに負けた者ではなく、闘う前に逃げ出す者のこと。 たとえ失敗しても、その経験は必ず次へのステップになります。
③ 「ふざけるな」
無理、無駄に見えるものにも挑戦しよう。 勉強のもたらす最大の効果は点数でも学歴でもなくイヤなことを続けられるという能力。 それが生きる力の源泉です。 姿勢を正して、前向きにトライッ。
今年度ノーベル化学賞受賞が決定した吉野彰氏は38年間に及ぶ研究を振り返って 「何とかなるさという自分の柔らかさが大きな支えになった」 とおっしゃっています。
矢口史靖監督の「ハッピーフライト」という映画でも、パニックになりそうな副操縦士に対して、機長が 「こういうときは、まず笑えと私は教えている」 と諭すシーンがあります。
心を柔らかくして、甘えず・逃げず・あきらめず。 笑える余裕を持ちましょう。
One Team!
(令和元年12月27日)
令和元年の流行語大賞は「ONE TEAM(ワンチーム)」。
そして私にとっては 「刻石流水(こくせきりゅうすい)」 の四文字も深く心に残った年でした。
「人生は恩返し」と公言する尾畠春夫さんが、「受けた情けは心に刻め、かけた情けは水に流せ」 と話されたことで注目を集めた言葉です。
もともとは仏教経典の「懸情流水 受恩刻石」(情を懸けしは水に流し、恩を受けしは石に刻め)という一節ですが、言うは易し行うは難し、千分の一でもまねできたらと思います。
そんな思いで教室を眺めているとどんな子供にも必ず特有の能力があることに気がつきます。
他の子にはなかなかできないことを簡単にこなす能力が、誰にもひとつは備わっているようです。
私などもよく「小学生から高校生まで、よく教えられますね」と言われますが、新しい知識に出会うと、どういうふうに説明すれば生徒さんに易しく理解してもらえるか、あれこれ考えるのが楽しみのひとつです。
大げさに言えば、多様性は進化の賜物(たまもの)。 どのような環境変化が起こっても生命が絶えることのないように、生物は多種多様に分岐して進化しています。
人間界だけを見ても、全ての人々が体の細胞のように繋がって社会を作っています。
王様や大富豪でさえ誰かの世話にならなければ生きていけないのと同じように他人と全く無縁に生きている人はいません。
人種、国籍、職業の違いはあれ、社会にとって価値のない人はいません。
私たちは同じ星の同じ時代を生きる「ONE TEAM」。 つまり、どう生きようと「人生は恩返し」なのかなと思ったりしています。
・・・気がつけば元年もあとわずか。 巡りくる新たな年が、皆様にとってどうぞ実り多いものでありますように。
最高の教師の見つけ方
(令和2年2月28日)
最後の大学入試センター試験(来年より大学入学共通テストに変更)の朝、JR福井駅のプラットホームの電光掲示板に 「受験生の皆さん、自分を信じて力を出し切ってください」 という主旨のメッセージが表示されていました。
なかなか粋な計らいで微笑ましく読ませていただきました。
受験生の皆さん、ここまで来たら、あとはもう余裕をもって試験会場に臨むのみです。 前祝いとして「努力は裏切らない」という言葉を贈ります。
大切なのは自ら求めること。
皆さんの求める気持ちの強さに応じた成果が、もうすでに実っています。 結果ではなくその過程に対して、心から敬意を表します。
たとえば、リンゴの木を見て何人が引力の法則を連想するでしょうか。
水平線に浮かぶ貨物船を見て地球が丸いと感じる人はそう多くはないはずです。
ニュートンもコロンブスも、常にひとつのことを問い続けていたからこそ平凡な風景の中から大きなヒントを得ました。
求めていれば、必ず身近なところにヒントあるいは教師が現れます。 そして、身近に教師を見つけることは何にも勝る才能です。
大事を成す人は、必ず何人もの賛同者に囲まれているものです。 それは偶然に与えられた環境ではなく、自ら求めた必然の結果です。
「金を残すは3流、名を残すは2流、人を残すは1流」
スランプに悩むプロ野球選手を次々と復帰させ 「再生工場」 と呼ばれた名将・野村克也氏の言葉ですが、彼自身もまた高校卒業時に当時の南海監督・鶴岡一人氏と出会わなければプロ入りはなかったと述懐しています。
目立たないところにも素晴らしい教師は必ずいます。
どこにいても、求める心を失わなければ、最高の出会いが皆さんを待っています。
ナイスプレイを!
鬼はどこにいる?
(令和2年4月24日)
休校と外出自粛要請が子供たちの環境を一変させています。
私の教室は従来から1~2名ずつの授業ですが、それでも席を離したり消毒を繰り返したり、変な緊張感が漂っています。
そんな中で 「コロナ感染って誰が悪いの?」 と突然生徒さんに質問されて言葉を失いました。
とっさに思い出したのが、かつて橋田寿賀子さんが 「渡る世間は鬼ばかり」という番組のタイトルについて話された 「自分が正しいと思っていても他人を傷つけてしまうときがある。 つまり誰だって鬼になることがある」 という言葉でした。
「トイレットペーパーが不足するかもしれない」という悪意のないつぶやきがパニックを引き起こしたのは記憶に新しいところ。
若いから関係ないと会食を重ねて、結果的にウィルスを拡散させたという事例もありました。
みんながいつもより多くのマスクや消毒液を買った結果、本当に必要な人が買えなくなっているという現状も未だ解消されていません。
私自身、春に予定していた旅行をキャンセルする際、ホテルや航空会社にご迷惑をおかけすると心苦しさを感じました。
まさに今、「世間は鬼ばかり」状態なのです。
今後、ますます規制が強化され、不確かな情報が飛び交って不自由な生活を余儀なくされることが予想されます。
その中で、自分が加害者になることを極力避けるすべを身に付けておく必要があります。
無責任な情報に飛びつかないように、自制と互助の精神を失わないように、自粛の中にも可能なかぎり意思疎通と消費を継続するように。
新学期に胸を膨らませる子供たちと一緒に 「ワンチーム」 の精神をもう一度思い出しましょう。
もう会えないあの殿様が 「だいじょうぶだぁ~」 と言ってくれる日まで。
ひまわりと太陽
(令和2年6月26日)
向日葵(ひまわり)はその名のとおり常に太陽に顔を向けると言われていますが、実際には向きを変えないものも少なくありません。
成長期の向日葵の茎では、日の当たらない部分に成長ホルモンが集中するため日陰側の伸びが大きく、結果的に花の向きを変えているのです。
歌や漫画のタイトルになったマリーゴールドも同じように太陽の動きを追いかけます。 ただし成長期だけの特徴ですので、成熟すると方向が変わりません。
ちなみに向日葵の花言葉は「あなただけを見つめる」。 これも成長期だけでしょうか?(笑)
話は変わりますが、夏至の頃、日の入りは一年中で最も遅く19時15分頃(福井市)です。
お子さんと一緒に日没時の写真を撮影しておくことをお勧めします。 西の景色のどの辺に沈むかもわかるようにしてください。
それと正午頃の太陽の高さ(南中高度約77度)も影や雲を利用してわかりやすいように撮影します。
半年後12月下旬の冬至の頃にもう一度日没時刻(16時45分頃)と太陽の沈む方角(かなり南寄りになっています)
正午の太陽の高さ(約30度)を撮影して比べてみましょう。
地球の公転と傾きを体感できる貴重な資料になりますよ。
さて、やっと学校が再開して喜んだのもつかの間、夏休みの日程短縮が決定されました。
猛暑の中、ランドセルをかついでの登下校。 換気のため窓を開けたまま、マスク着用のままの授業。 春休みもどこにも行けず、修学旅行も秋休みも自粛・・・。
子どもたちはこの一年をどんなふうに思い出すのかと思うとなんだかやりきれない気持ちになります。
教壇に立たれる先生方の心情やご苦労を察すると言葉もありません。
この夏、成長期の向日葵たちは、どんな太陽を追いかけることでしょう。
愛(いと)しいと思えば寄り添える
(令和2年10月23日)
以前、円周率を何桁まで覚えられるか競争したことがあります。 資料によると、世界記録は七万桁とも十万桁とも言われていますが、私たちはせいぜい50桁前後(笑)。
けれどその期間中、私も生徒さんも不思議な体験をしたのです。 電話番号や車のナンバーなどがやたら目について、大げさに言うと向こうから飛び込んで来るような感覚でした。
そう言えば、海外旅行の直前になると英文や観光ポスターが目についたり、身近な人が妊娠するとおなかの大きい女性をよく見かけるようになったり、そのとき仕事で扱っている商品をあちこちで見つけたり。
繰り返して意識していると、向こうから近づいて来るように感じることがよくあります。
「どうしたらピアノがうまくなりますか?」と聞かれたピアニストが 「練習するだけよ」と答えました。
もっと効率的なアドバイスを期待していたファンはガッカリしましたが、ある意味それが一番の近道なのです。
将棋の名人は、私たちの何百倍も将棋のことを研究しているに違いありません。 料理の達人も、プロゴルファーもしかり。
ため息をついて羨ましがっていても、その差が縮まることはありません。
今日から苦手な科目の教科書を、毎日開いてみましょう。 5分でも10分でもかまいません。
文章題が苦手なら、初歩の薄っぺらな問題集を覚えてしまうまで何度でもやり直しましょう。
できない(と思っている)のは、努力が少し足りないというだけのこと。
勉強の方法がわからないという子の多くは、いやなことを続ける根気がちょっと足りないだけなのです。
続けていれば、自然に注意が向くようになります。 注意が向けば、興味が湧きます。
相手を大切に思えば、いつか向こうから寄り添ってくれるようになります。
ヒーローたちに金メダルを
(令和2年12月23日)
突然ですが、三波春夫さん主演の 「東京五輪音頭」 という古~い映画を見ました。(1964年公開、小杉勇監督作品)
老若男女が同じ夢を見ていた、幸せな国の幸せな時代のお話。
「密」って、こんなに素敵なものだったんですよね~。 失って初めて思い知りました。
さて、生徒さんに今年の流行語を選んでもらったところ、”コロナ・あつ森・鬼滅” がダントツのベストスリーに。
①思い返せば「新型コロナ」という言葉は正月早々から報道され始め、瞬く間に全世界に拡散していきました。 子供たちにとっても、日常が簡単に奪われるという苦い体験や行動の結果が数字になって表れるという容赦ない現実が強く印象に残ったことでしょう。
②任天堂のソフト「あつまれどうぶつの森」が発売されたのは3月20日。 ひと昔前のゲームと違って、正解もゴールもない新しい遊びのカタチでしょうか。 ただ、ある期間プレイしないとペナルティが生じるという設定には少し違和感を感じました。
③漫画「鬼滅の刃」が少年ジャンプ誌上で連載を終了したのが5月18日。 代わって映画版が封切りされたのが10月16日でした。 海外メディアからも「エンタテイメントがいかなる制約も受けないことを証明した」 と絶賛されました。
東京五輪の代わりに世界各地で繰り広げられた”対コロナ”オリンピック。 まさに人類ワンチームの大会となりました。
それぞれの職場で、誕生日もクリスマスも大晦日も休まず闘っておられるすべての方々に、心からの金メダルを差し上げられればと思います。
子供の頃あこがれたヒーローやヒロインの正体は、きっとあなたたちだったのでしょう。
皆様、どうぞよいお年をお迎えください。(祈)