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   塾日記(3) 令和3~6年

 

  コラムの副題の最初と最後の文字を

  同じにしていろは順に並べています。

 令和3年

  1月 い・「いいこと貯金は裏切らない」

  2月 ろ・「ローテクが拓く活路」

  3月 は・「話し上手になるには」

  4月 に・「西から東に」

  5月 ほ・「本気を確保」

  6月 へ・「閉塞なきスクリーンへ」

  7月 と・「東京に集うアスリート」

  8月 ち・「知識は入り口」

  9月 り・「凛々たる道のり」

 10月 ぬ・「ぬるま湯に風立ちぬ」

 11月 る・「ルールを変える」

 12月 を・「”を”で締めくくりを」

 令和4年

  1月 わ・「和を以て為す英会話」

  2月 か・「軽くない空気を

           感じていますか」

  3月 よ・「用意が肝心ですよ」

  4月 た・「大切なことを忘れていた」

  5月 れ・「レシピを守って

          美味しゅうな~れ」

  6月 そ・「そこにいてこそ」

  7月 つ・「繋がる知恵と技術」

  8月 ね・「熱意にあやかる輪廻」

  9月 な・「流れに乗せる香り花」

 10月 ら・「楽は苦から」

 11月 む・「村北君が書いてるコラム」

 12月 ん・「ん…なんか変?」

​​

いいこと貯金は裏切らない

     (令和3年1月29日)

 ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」(映画版)の中に、「Something Good=何かいいこと」という歌があります。 「あなたが私を愛してくれるのは、きっと私が何かいいことをしたからでしょう」 というような歌詞です。

  私の好きだったTBSドラマ「重版出来=じゅうはんしゅったい」にも、いいことを続けていれば願いが叶うと信じる編集者が登場していました。(漫画家×出版社×書店の連携を描いた楽しいドラマです)

 

 何かに頼りたくなることがあります。 あるいは、奇跡のように災難から救われることがあります。 先ほどの歌のように、それまでの正しい行いがもたらしたご褒美みたいに感じられるうれしい瞬間です。

​ それならまた何年か後の奇跡のために、今日からまた「何かいいこと」を貯金するのも無駄ではないでしょう。

 途中でズルや楽をしてその貯金を浪費することのないよう、人を傷つけたり恨んだりして貯金を台無しにしないよう、誠実に「いいこと貯金」を続けます。

 

 さて、いよいよ受験シーズン。 自分に語りかける言葉は、「〇校に入りたい」ではなく、「自分は今年〇校に入る」。 「頑張ります」ではなく「大丈夫、私ならできる」にしましょう。

 ちなみに、仕事で苦労しているなら 「久しぶりにやりがいのある仕事に出会えた」。 ダイエット中なら「今日〇〇を我慢したから私は痩せている」がいいでしょう。

 

 自分を疑ったり謙遜したりする必要はありません。 努力はたまに人を裏切りますが、誠実さは必ずあなたに報います。

​​

​ 「断じて行えば鬼神(きしん)も之(これ)を避く」。

 試験会場に入ったら、背中に担いだ御旗をまっすぐ立てるつもりで、胸を張ってゆっくり深呼吸。 まずは気持ちを落ち着けよう。

​​ さあ、オールグリーン。 君らしいナイスプレイを!

 

 

ローテクが拓く活路

     (令和3年2月26日)

 電波時計を南の空に向けて時刻合わせしようとしてもうまくいかず、ずっと手動で合わせていました。 ところが先日たまたま反対向きの窓際に置いておいたら、なんと翌朝ぴったり合っていてビックリ。

 電波時計向けの標準電波は、衛星ではなく、全国に2か所の電波送信所から出ていたんですね。

 

 もう一つこれは以前にも書きましたが、テレビドラマの主題歌の歌詞が聞き取りにくければコマンダーの「字幕」ボタンを押せばいいということも偶然見つけた裏ワザでした。 思いつきもあながちおろそかにはできません(笑)。

 

 朝倉氏遺跡資料館のフェイスブックによると、1517年(信長以前の戦国時代)の冬、北陸道木ノ芽峠付近で豪雪による立ち往生が発生。 大勢の人手によって除雪作業が行われたとの記録が残っているそうです。 不眠不休でばんばを振るう人々の姿が目に浮かびます。

 

 今年正月明けの大雪のときも、3年前も、そして5百年前も、最後に頼るところは人間の使命感と善意なんですね。 つらい除雪作業も、ご近所の声の掛け合いで少しは楽になるもの。 同時代を生きる人間同士の触れ合いこそ、どんな技術にもまさる救いです。

 

 そんなことを考えていたら、日進月歩のハイテクに私たちがどこまでついていけるのか疑問に思えてきました。

 ルールもマナーも未整備のまま提供される未知の道具と娯楽。 子供たちもその波に飲み込まれようとしています。

 昨今のステイホームは、「ちょっと落ち着いて考えなさい」という天からのお告げのようです。

 

 「不自由を常と思えば不足なし」。 倹約を旨とする家康公が4百年後の私たちに贈った遺訓です。

話し上手になるには

    (令和3年3月24日)

 書店に行くと話し方の教則本をたくさん見かけます。 それほど多くの人が話し上手になりたがっているということなのでしょう。

 そう言えば、先日ある国の元政治家が「女性の無節操な長話は困る」 などと発言して騒ぎになったようですが、当の本人があちこちの会議で40分以上も演説をしているというのですから、どちらが「無節操」だかわかったもんじゃありません(笑)。

 

 つまるところ、世の中には話し好きが多いということ。 それなら話は簡単。苦労して話し方を練習するより聞き上手に徹しましょう。 基本は「き・く・ね」の3つだけ。

 

 ① 「き」は共感。

 「V6が解散するんだって」と言われたとき、 「うん、私もテレビで見た」 より 「えええっっっ!!ほんと~???」 と返す方が話し手の気分はぐっとよくなります。

 ちなみに、人の話の大半は自慢と愚痴。 批判せず否定せず、話し手の気持ちに合わせましょう。

 

 ② 「く」は繰り返し。

 話の大切なところは「それってどういうこと?」 「それからどうしたって?」というようにもう一度話してもらいます。 さり気なく相手の得意な話題に導いてあげれば、なお結構。

 

 ③ 「ね」は念押し。

 区切りごとに話の要点を確認して感想を短く述べます。 話す分量は、相手と自分で「8:2」あるいは「9:1」くらいでもかまいません。 こちらの話しすぎは、くれぐれも禁物です。

 

 かのエルキュール・ポワロ氏も、 「会話の中では誰もが自分をさらけだす」と言っています。(アガサ・クリスティ「ABC殺人事件」より)

 自分の言葉を快く受け止めてくれる人を、みんな求めているんです。 つまり、それが会話上手への近道だということ。

 情報発信(言いたいことを言おう)という発想ばかりが無節操に飛び交う昨今。 「うっせーわ」などと下品な言葉を使う前に

 外からの情報をソフトに受けとめる能力を、いま一度見直すときかもしれません。

西から東に

     (令和3年4月21日)

 ある合宿ゼミに参加したとき、何度も 「必ず今夜中に復習しておいてください。今夜復習しない人は一生復習できませんよ」 と言われました。

 時間経過にともなう記憶量の減少を示す忘却曲線からも、なるべく早い時期の復習が効果的なことがわかります。

 「学而時習之(学びてときにこれを習う)」 いつまでも色あせない訓言(くんげん)です。

 

 暮らしの中で得られる多くの知識のうち、ほとんどは数日中に忘れられてしまいます。 その対策は、忘れたくない知識をなるべく早く3人の人に話すこと。

 私はよく、気になる新刊本のタイトルを何冊か、一緒に書店に行く子供に伝えておきます。 すると不思議なことに、子供に聞くまでもなく、自分の記憶にちゃんと残っているのです。

 学生の勉強法でも、一番効率的と言われるのが、友達との質問&教え合いです。 外国人と接する機会がないのに英会話を勉強することの難しさは日本人の痛感しているところ。

​インプットしたら即アウトプット。 この繰り返しが学習には必要条件なのです。

 

 知恵と情報は出す人の所に集まるという性質があります。 (お金も同じだという人もいますが、保証はしません)。

  努力を惜しまず全て出し切ったあとに、不思議と新しい情報が集まり知恵が湧いてきます。

  私自身、授業をしていて、一番勉強させてもらっているのは自分だと常に感じています。

  ダイエットのために乗馬をしたら、痩せたのは馬だったというジョークに似ていますね(笑)。 風のように、とどまることなく西から東に知識を流し続けましょう。

 

 ・・・さて、風と言えば、若大将の芸能活動再開の発表前夜、青大将が風に追われるように澄ちゃんのもとに飛んで行きました。 やはり手も足も早かった青大将。

​ ありがとう。 君と、いつまでも。

本気を確保

     (令和3年5月24日)

 

 「今年は頑張ってダイエットしよう」と思っていたのに、もう梅雨入りの報せ。 「テスト前には一生懸命勉強する」と誓ったのに、今回も反省ばかり。

 期限付きの目標ではどうにも本気になれないようです。 本気を持続させるためには、どうしたらいいのでしょう。

 

​ 近年、「再生可能」とか「持続可能」という言葉をよく耳にします。 代表的なものが「SDGs」(エス・ディー・ジーズ)。 正確には、Sustainnable(続けられる)+Development(発達)+Goals(目標)

 もとは国連サミットで採択されたもので、一般に「持続可能な開発目標」と訳されています。

 要するに、ある期間だけダイエットに挑戦するのではなく、これからずっと続けていく習慣のひとつとして、「今後、ライスのお代わりはしない」というような絶対目標を持つということです。

 

 そのためには 「本当の健康とは?」 「美しい生き方とは?」 「幸せとは?」 などをよく考えて、自分が長期的に本気を確保できる目標を見つけること。 すごく大げさに言えば、生き方を変えるということです。

 

 昨今のコロナ騒ぎでも、「〇〇宣言」とか「ステージ〇」という期限付きの警告が繰り返されていますが、しばらく我慢すれば誰かが何とかしてくれることはありません。 持続可能な対策と新しい生活感が求められています。

 お子さんの勉強についても、これを機会としてご家庭で話し合われてはいかがでしょうか。 ゲームやユーチューブにかまけて大切な時期を無益に過ごすことのないように、こつこつと持続可能な本気の確保について考えるよう若者に切に願っています。

閉塞(へいそく)なきスクリーンへ

     (令和3年6月25日)

 このところ、冷蔵庫からものを取り出すたびにビクビクしています。 新しくわが家にやってきた冷蔵庫、ドアを開けて一定時間たつと電子音で警告してくるのです。 これを「親切設計」と言われても・・・

 自分で買った電気製品に急かされるとは、せちがらい世の中になったものです(笑)。 というわけで、今月は古き良きスクリーンのお話。

 幻の日活映画「朝霧」 (出演・和泉雅子、杉良太郎、八千草薫、宇野重吉、梶芽衣子、下條正巳、他) を、ある有料配信サービスで見つけました。

​ 公開は1971年ですが、製作・撮影が行われたのは1968年(昭和43年)で、初めての国体開催を控えた福井県が舞台となっています。

 当時の足羽川や福井城址、赤十字病院、にぎやかな呉服町商店街と新栄商店街、東尋坊や越前海岸など、全編福井ロケの名作。 県内限定でもいいので、いつか地上波で放送してもらえるとうれしいのですが。

 

 もうひとつ、感激のニュース。 この夏休み、県立美術館でオードリー・ヘプバーンの写真展が開かれます。

​ 黄金時代のハリウッドを支えた大女優でありながら、後半生をユニセフ(国際連合児童基金)親善大使としての活動に

 捧げたヘプバーン。

  アメリカ市民に与えられる最高の勲章を授与されたひと月後に、63歳で世を去っています。 「この暴力的な世界にひと時の休息をもたらす、そんな素晴らしいビジネスに関われたことを誇りに思います」。 米映画俳優組合特別功労賞の受賞式で、彼女に代わってジュリア・ロバーツがこの言葉を読み上げた直後、会場は大きな拍手に包まれました。

 銀幕の妖精が旅立って28回目の夏。 心にもマスクをして一緒に出かけませんか?

​ 耳障りな電子音も感染のリスクも及ばない、開け放たれたスクリーンの世界へ。 (文中敬称略)

東京に集うアスリート

    (令和3年7月21日)

​ 「儲かるオリンピック」 「アスリート・ファースト」 「復興五輪」 「コロナ制圧記念」 等々、てんこ盛りのスローガンが次々とはがれて、図らずも裏舞台を露呈するかたちとなった今回のオリンピック。

​ とは言え、非凡な才能と精神力、そして最先端の科学が生み出す数々のドラマは、多くの感動をもたらしてくれるに違いありません。

 身近なものにたとえましょう。 走り高跳びの世界記録2m45cmは、サッカーゴールとほぼ同じ高さ。 走り幅跳びの世界記録8m95cmは、畳5枚を縦に並べた長さ。 棒高跳びの世界記録6m18cmは、一般的な信号機や2階建て住宅の屋根を優に飛び越える高さ。 砲丸投げの世界記録23m37cmは、16ポンド(約7.3Kg)つまりボーリング場にある一番重いボールを小中学校のプールの長さ(25m)ほど投げていることになります。(いずれも男子の記録)。

 この絶好の機会に、闘いに臨むアスリートの息遣いを子供たちが間近に感じて、その裏にどれほどの努力があったか想像してくれたら、この夏休みの素晴らしい思い出となることでしょう。

 同時に私たちは、ひとつのメダルの後ろに多くの敗者がいるという事実も目撃することになります。

彼らの努力が足りなかったわけではありません。 「努力は裏切らない」「悔しさをバネに」などという感傷とは関係なく、彼らは敗北の瞬間から新たな目標を目指します。

 

泣き言を口にする余裕もないほど、0.1秒、0.1cmを真摯に競い合う。 彼らの生活は常にその繰り返しです。

  いま東京に集うアスリートたちは、1分1秒たりとも無駄にせず闘いの道を歩き続ける人ばかり。 メダルの色ではなく、その生きざまが私たちの心を熱くするのでしょう。

​ 色あせたスローガンを忘れて、心からの敬意を込めてエールを送りたいと思います。

知識は入り口

    (令和3年8月25日)

 「0.26で割ってその商の小数第一位を四捨五入すると42になる整数は?」 (小学5年、答えは11)​

 算数嫌いでなくても頭を悩ませるに違いありません。 だからといって小学校の算数教育を批判する人はいないでしょう。 体重計を睨みながら、ダイエット本を破り捨てる人もいないと思います。

 それなのに「日本人が英語を話せないのは英語教育のせいだ」 という批判が絶えないのはどうしてでしょう。 実はそこに私たちの英語コンプレックスの原因があるのではないでしょうか。

 

 「国民は緊急事態宣言に疲れている」 「近頃の若者は本を読まない」 などと繰り返し言われればそんなものかなと思えてきます。 英語教育批判も同じように心理的な圧迫感、劣等感を生んでいます。

 実際には、私たちは平均的な外国人が知っている日本語よりはるかに多くの英語を知っています。 「おはよう」とフランス語やスペイン語で言えますか? 英語圏以外なら、簡単な日常会話を10個も覚えて行けば平気なはずです。

 アグネス・チャンさんが初めて日本に来たとき、知っていた日本語は「オナカガスキマシタ」だけだったそうです(笑)。

​ 3年前「充〇させてもらえませんか」という番組がイタリアでロケをした時も、出演者のお粗末な英語(イタリア語でなく)が面白いくらい通じるのを見てむしろ頼もしく感じました。

 

 日本人が外国人に敬遠されるのは、英語が話せないからではなく日本人同士が固まって外国人に心を開かないから。 また、意思表示をせずニヤニヤ笑っているように見えるからだと言われています。

 

 知識は未知の世界への入り口にすぎません。 貴重な知識を使いこなすには、スプーン一杯の勇気が必要です。 教育が悪いなんていう言いわけは、世界では通用しません。

 (追伸) この原稿を掲載したいただいたファミール誌が、1000号記念号となりました (拍手)

 

凛々(りんりん)たる道のり

    (令和3年9月22日)

 9月22日を迎えると、年内の残り日数はあとちょうど100日となります。 そして、車の窓を閉めて運転しても暑くなくなる秋分の時期。

 そこで私は毎年この日から、あることを始めています。 それは、カーステレオでクリスマスソングを聞くこと。

 欧米でも気の早い商店の店先にクリスマスグッズが並び始めるこの時期。 一足早く「ホワイトクリスマス」などを聞いていると

 心に小さな火が灯るような気がします。 この日から大晦日までのちょうど100日間が、私にとっての長いクリスマスシーズンというわけです。 ・・・ 皆さん、暮れのご用意はお早めに(笑)。

 長いシーズンと言えば、先月私のコラムを掲載していただいたファミール誌が記念すべき1000号でした。 記念号としてはあまりに控えめな記事内容だったのは、編集部の2000号、3000号への強い意気込みがあったからでしょう。

​ それでも21年という長い長い道のりを思えば、一読者として少なからず敬意と感慨を抱かずにいられません。 明るい誌面からは想像できない舞台裏のご苦労が察せられます。

 おそらく現在のスタッフの中には、創刊当時まだ生まれていなかったという方もおられることでしょう。 そんな若いスタッフも、そうでない(?)スタッフも、一冊一冊にかける情熱が並々ならぬものだということは、長年コラムを書かせていただいている私がよく知っています。

 マスコミでは伝えられない、暮らしに密着した話題を届ける手軽なフリーペーパー。 1000冊重ねれば、その厚さは3m以上にもなります。 地元に根付くお店と地元を愛する読者をつなぐ凛とした未完の塔。

​ 営業・編集・印刷に関わる全ての方々、そして各戸に配布してくださる方々、ありがとう。 そして、おめでとう!

 

 ぬるま湯に風立ちぬ

   (令和3年10月22日)

 日本は公の場で英語が通じない数少ない西側先進国のひとつです。 島国であること、植民地支配を受けていないこと。 そして戦時中の反英語教育などがその原因でしょうか。

​ スーパーでトマトを「トゥメイトゥ」と発音すれば、まず間違いなく笑われるでしょう。 また外来語の中には勘違いされたまま使われているものも少なくありません。

 たとえば「トイレ」は北米では便器のことですが、未だにあちこちで(空港でさえ)「men's toilet」と書いてあるのを見かけます。

 

日本の社会構造も英語を必要としない仕組みになっています。 言葉を生業とする政治家や作家、アナウンサーでさえ、自分の発言を英語に翻訳する必要がありません。

日本人にとって英語は 「習い事」あるいは「教養」 として認識されているのです。 これではなかなか実社会で役に立ちません。 これを痛感したアジア諸国は、近年大きな改革を実行しました。

 韓国は公用語から漢字(象形文字)を排斥し、今や英語が話せないと一定以上の地位につくことはできません。(背景は異なりますが、かつて漢字圏であったベトナムも戦後これを改めています。)

 中国では当然、英語教育に対する激しい抵抗がありましたが、中国政府はあきらめずに制度の改革を進めました。

 

 これに対して、今日なお日本人が英語を苦手としているのは、英語教育が劣っているせいではなく英語を習得する必要性とメリットがないからです。

 以前から、高校・大学の授業と公共放送の一部を英語で行う。 入学・入社・資格試験などを英文で出題・回答するなどが議論されているものの、広く普及する気配はありません。

 それならまず何よりも、この国で英語を学ぶことの意味を、次世代を担う子供たちにしっかり理解してもらうことが必要だと私は思います。

 風は吹き始めています。 (11月26日号↓に続きます)

 

 

ルールを変える

    (令和3年11月26日)

 前回、日本は第2外国語を必要としない数少ない国だと書きました。 その幸運を享受することに異議はありませんが、そんな環境だからこそ(特に若者には)英語を学ぶことの意味を改めて考えてほしいと思います。

 日本人は英語が話せない。 そんな認識に甘えていられる時代は終わろうとしています。 多くの国で英語は国際語と認識され、科学、経済、スポーツ、あらゆる面で英語力の欠如は交流の妨げとなっています。

 

 将来どんなに高度な自動翻訳器が登場しても、器機を介した意思疎通には限界があるでしょう。 「英語よりまず正しい日本語を」という考えも理解できますが、必ずしも正しいとは言えません。

 英語が世界中で受け入れられるのは、文法が論理的でわかりやすく、わずか26文字の組み合わせで驚くほど柔軟な表現が可能だからです。

 その習得によって、文章表現や会話技術に対する感覚が鋭くなります。 また「他の言語ではどう表現するのか」と常に意識することで、母国語の表現力も豊かになると言われています。

 

 言葉に関して、最近残念に思うことが2つあります。 ひとつは、インターネットの掲示板などに外国の方が日本語で投稿した文章に対して 「日本語もまともに話せないのか」 などと見下したような評価が寄せられること。

  もうひとつは、職業アナウンサーが外国の有名人にインタビューする際、出だしの挨拶から通訳を介していることです。

 そこには、母国語だけで事足りてきた日本人の勘違いとおごりが感じられます。 外国語を学ぶということは、異文化に対して敬意を抱き、心のうちを共有することに他なりません。

 

 それは国際社会に対する、そして自分に対する「ルール」を変えることでもあるのです。

 「を」にご注意を

     (令和3年12月24日)

 「A merry Christmas.」 や 「A happy new year.」 という言葉には 「楽しいクリスマス(新年)をお迎えください」 という意味が含まれるため、当日の挨拶や年賀状には最初の「A」を付ける必要はありません。

 「を」が付くと意味が変わってしまうのでご注意を。 …ということで、今月は英語の学習法について。

 

 まずは学生さんへ。 小学生は学校で習った短文を家庭でどんどん使って楽しみましょう。 中学生は教科書の英文と単語を「発音しながら書く」ことから始めます。 中3までの基本文を習得すれば、日常会話で困ることはまずありません。

そして、高校生は「高校英語構文」のわかりやすい参考書を熟読して、表現の幅を広げましょう。

 

 学生以外の方も、短文→構文→会話の順に進みます。 ただし各教材を消化する期限を決めること。毎日の習慣にすること。 手話を習うのと同じで実際に使わなければ意味がないということ。 この3つを忘れないでください。

 

 会話練習(相手がいなければ想像の中で)のコツは 「こんにちは」「わかりました」「やってみます」 などよく使う会話文を、何パターンか準備して会話に変化を持たせること。

 そして「日本の食べ物を何か知っていますか?」 「私はこんな俳優が好きです」 など、こちらの話しやすい話題にもっていくことです。

 また映画のDVDを見ていてお気に入りのフレーズがあったら、英語字幕を表示させて書き留めるととてもいい教材になります。 生きた英語を積極的に聞き取ろうとすることで、リスニングの力も向上します。

 

言葉とは、相互理解と共感を深める魔法の道具。 外国語を勉強していく中で小さな心の触れ合いを実感できたら、それが最高の勉強法です。

 Now , so much for this year.

 Have a wonderful Christmas.

 And I wish you a Happy New Year !

和を以てなす英会話

     (令和4年1月28日)

 英会話の教本によく 「~という言い方はネイティブには通用しません」 などと書かれていますが、「ネイティブな日本語」って使ってます?

 細かい文法や発音に気をとられて会話の楽しさを見失うより、間違っていてもいいから「ハ~イ♪」と声をかける方がずっと近道。

 たとえば「英会話には詳しいけれど人に挨拶ができない」という人と 「英語は苦手だけどすぐに人と仲良くなれる」 という人が外国で生活したら、間違いなく後者の方が英会話が上達します。

 

 とっさに言葉が出なくても、「メアイ(May I )」のあとにジェスチャーをすれば 「~してもいいですか?」 という意味に。 また「ウジュー(Would you)」のあとにジェスチャーすれば 「~してもらえますか?」 という具合にたいてい伝わります。 表情を少し大げさにすれば日本語混じりでも結構通じてしまうもの。

 日本人は挨拶も礼もしない、表情も読めないと言われないように、会話以前の交流を楽しみましょう。

 別れ際には「ハバナイスデイ(Have a nice day.)」(いい一日を)。 相手からそう言われたら 「ユートゥー(You too.)」(あなたもね) をお忘れなく。

 

 私は生徒さんに「挨拶もできない人間に英語の勉強はできない」 と言っています。 別に、礼儀を知らない人間は勉強もできないという意味ではありません。 人と交流しようという意志なくして、語学の習得は不可能です。

 残念なことに、世界中を旅しても長期留学しても、現地の友人を一人も作らずに帰国する日本人が少なくありません。

 幼い頃から人にいい印象を与えることをしつけられる日本人と違って、自己主張は義務だと考える外国人は、ときに冷たく感じられるかもしれません。 けれど根っこはみんなフレンドリー(friendly=親しみやすい)。 3回挨拶できたら、気持ちはもうネイティブレベルです(笑)。

 

軽くない空気を感じていますか?

     (令和4年2月25日)

 空気の謎① 「冬になると空気が乾燥するのはなぜ?」

 湿度というのは、その気温において空気中に含まれる水蒸気の最大量(飽和水蒸気量)に対する、実際に含まれている水蒸気量の割合です。 空気1㎥中の飽和水蒸気量は、気温30度で約30g、気温5度で約7gですので、同じ湿度(%)であっても、冬の空気に含まれる水蒸気の量は夏の4分の1以下ということになります。 冷蔵庫に食べ物を入れておくと乾燥するのも同じ理屈です。

 

 ② 「空気1㎥の重さは?」

 実は、約1.3Kgもあるんです。 普段気にも留めない気圧(空気の重さ)ですが、かなり大きな力が常に私たちを締め付けていることになります。

 また、翼に受ける空気の抵抗を利用して巨大なジャンボジェットが離陸するのも、数枚のプロペラだけでヘリコプターが空中でホバリングできるのも、空気の密度が意外に高いことを証明しています。 (余談ですが、ハチドリやハエなど多くの鳥や虫の飛翔原理について現在の航空力学ではまだ完全に解明されていません。)

 さらに、ある映画の冒頭に、空気の抵抗を利用しててのひらが女性の体に触れたときの感触を味わうというシーンがありましたが(笑) これも空気密度の高さを利用したものです。 (利用せんでええわい)

 

③ 「空気中には酸素が豊富?」

 いえいえ、空気の約8割は窒素で酸素は2割ほどしかありません。 23億年ほど前に地球に登場した酸素のおかげで、呼吸という仕組みを介して生命が誕生しオゾン層が地球を保護してくれるようになりました。

 

 空気は過去からの奇跡の贈り物であると同時に、未来からの貴重な借り物でもあります。 普段は存在すら忘れられていても、その価値は量り知れません。

 そのとおり。 空気のようだと言われても、自慢できるものがなにもなくても、誰にだってかけがえのない価値があります。

感じていますか?

 

用意が肝心ですよ

     (令和4年3月25日)

 毎年この時期によく質問されるのが、ご家庭で使用される教材の選び方についてです。

 結論を言えば、小中学校ではどの出版社のものを選んでも大差ありません。 お子さんと一緒に書店に行って使いやすいものを選んであげてください。

色彩豊かな教材の方が親しみやすいという子と、反対に白黒の本に蛍光ペンで線を引きながら読む方が頭に入るという子がいるので本人の好きな方でかまいません。

 高校では学校やコースによって学習する内容が大きく異なりますので、新学期が始まってから先生や先輩の意見を参考にして

 適切なものを選ぶ必要があります。

 

 数学・国語・英語の家庭学習では、問題中心の教材で応用力を養うことが目標です。 特に英語は文章をたくさん覚えて

 否定文・疑問文に変換する方法を常に意識すること。

 理科と社会は問題集より読みやすい参考書を選ぶ方がいいでしょう。 理・社に限っては時間をかけて設問に取り組むより

 解答を丸写しして何度も読み返す方が効率的です。

 

 また、これは私見ですが「次の中から選びなさい」という選択式の問題集はあまりお勧めできません。 ひとつの正解以外はすべて誤答ですから、それが記憶に残ると逆効果になります。 

意外に役に立つのが、辞書タイプの用語集です。 でも、まずは各科目1冊の教材に集中して繰り返し勉強しましょう。

 

小中学校では授業進度に合わせた復習中心の家庭学習でいいと思います。 けれども、高校になると予習していないと

 授業が難解に感じられるかもしれません。

どの科目も先へ先へと教科書を読んで、知らない言葉や項目について事前に調べておきましょう。(本来、勉強というものはそういうものです。)

 

 忘れてならないのは、あくまでも基本は教科書の熟読だということ。 「平均点までは教科書一本」 というのも、立派な勉強法です。

大切なことを忘れていた

     (令和4年4月22日)

 「何かしてもらったら、ありがとうを言いなさい」。 言い古された教えですが、何か違うような気がして生徒さんに聞いてみました。

​ 「図書館で働いている人は、本を借りに来た人にありがとうって言うと思う?」 「郵便局の配達員さんは、小包を届けた相手にありがとうっで言わなきゃいけない?」。

子どもたちの答えは 「してあげる方がお礼を言うのはおかしい」 「相手からお金をもらっているわけじゃないのだから

 ありがとうを言う必要はない」 というものが大半でした。 確かに、教えを忠実に体現するとそういうことになりますけれど。

 「ありがとう」で忘れられない話がふたつ。 

沢田研二さんはいつもコンサートのとき、汗びっしょりになりながら、1曲歌い終わるたびに 「おおきに、サンキュー、ありがとね」 と繰り返します。

​​ あるテーマパークのメンテナンス作業員は 「乗り物の座席や把手が汚れていると、お客さんの笑顔を連想して思わずありがとうと言ってしまう」 と語っていました。

 それは、お金やサービスに対する単なるお礼の言葉ではないような気がするのです。 どんな仕事であれ、他人を助け、励まし、喜んでもらうことが目的であることに変わりありません。

 なぜなら、人間は誰かに幸せにしてもらうより、誰かを幸せにする方がより大きな喜びを感じる生きものだからです。 そして経験を積むほどに、「ありがとう」と素直に言えるときが自分がとても幸せなときだと気づくようになります。

他人の幸せが自分の幸せに繋がっている。 役に立ててうれしい。 喜んでもらえてうれしい。

 そう感じたとき、心の底から素直に「ありがとう」と言えるのかもしれません。

 人との接触を減らすことばかりに気を配る毎日の中で、そんな大切なことを忘れていました。

レシピを守って、美味しうな~れ

     (令和4年5月27日)

​ コストパフォーマンス最優先の時代、「手抜き」 という言葉がもてはやされています。

  ことわざにも「棚から牡丹餅」「勿怪(もっけ=もののけ)の幸い」 等々とあるように、昔から思いがけず成果を手にすることは珍しくありません。 最近、町民全体の支援金を手にした住民が、一転して返還を拒否するというお粗末も。

 市販の教材にまで 「これだけで十分」 「〇日で完成」 というようなタイトルのものが増えて少し驚いています。

 

 探そうと思えばどんな所にも楽のタネは転がっています。 けれど楽をして手に入れたものは失うのも早いもの。

  「勝った試合からは何も学べない」と言われるように、むしろ報われない努力の方が尊いものです。

 私は「夢は必ず叶う」とは思いませんが 「努力は決して無駄にならない」 とは自信を持って子供たちに伝えています。

 

  私たちの国には「醸(かも)す」という言葉があります。 米を口の中で噛んで麹(こうじ)を発酵させ酒や醤油を醸造したことから

 「噛む」が転じてできた言葉だと言われます。

  また、「染(し)みる)」という言葉もあります。 鍋やずんどう、湯飲みなどを長年使っていると、コクや茶シブが染みて、その器独特の味わいが生まれるそうです。

 

さて、新年度の勉強も本格的になってきたと思いますが、何年生になっても算数・数学の授業は計算練習から始まります。 筆算は論理的な考え方とその表現法を学ぶのにとても役立ちます。

面倒な計算問題など飛ばして早く次のページに進みたいなんて思わないでください。 勉強は「〇日で完成」などと程遠く、仮説と検証の繰り返し。

 出口のない迷路を地図もなしに歩き続けるようなものです。 長い時間をかけて身に染みこませた論理性と直感、そして粘り強さと素直さをもって楽しく臨みましょう。

失敗を怖れない幼児が、何度も立ち上がるように。

 

そこにいてこそ

     (令和4年6月22日)

​​ 「モーツァルトを聞けないのなら生きている価値がない」 と言った音楽家がいますが、生きがいは人それぞれ。 誰もがたくさんの生きがいを持って日々生活しています。

 正解の生きがいや正解の人生があって、それを見つけなければ幸せになれないなんてことはありません。

ひとつの夢にかける姿勢に感動し、そういう生き方にあこがれるのは素晴らしいことですが、ひとつの道に固執するあまり、一度の失敗で本筋をあきらめてしまったり、他の可能性を否定してしまうのはあまりに短絡的です。

 

 数学の問題に取り組むとき、もっといい解答方法はないかと常に考えることはとてもいい勉強になります。

 ひとつの答えにたどり着く途は無数にあります。 仕事を成功させて念願の宇宙旅行に行く人もいますし、塾の講師からタレントになった人もいます(笑)。

 

 たとえ途中で道が閉ざされても、あせる必要はありません。 コロンブスがスペイン南端の港町パロスからの航海を許されたのは40歳を過ぎてから。 伊能忠敬が蝦夷地に向けて最初の一歩を踏み出したのは、55歳のとき。 天才モーツァルトは、世間から忘れられつつあった晩年最後の5年間に 「フィガロの結婚」 「ドン・ジョバンニ」 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」 「魔笛」 そして 「三大交響曲(39~41番)」 など、偉大な曲を遺しています。

 立ちはだかる壁に一生をかけて挑み続ける情熱こそが、彼らの才能でした。

 

 君はいつも「そこ」にいます。 自分のいない場所で他人に認めてもらうことはできません。 自分が立っている場所がわからないうちは、どこにも行けません。

 目の前で窓が閉まっても、新しい窓は無数にあります。 倒されたら、カウント・ナインまでゆっくり数えて立ち上がってください。

 

新たな夢が、「そこ」 から始まります。

 

繋がる知恵と技術

     (令和4年7月22日)

 7月7日、ランドセルでもおなじみの化学メーカー・クラレが、今年小学校を卒業した子供たちに聞いた 「将来就きたい職業ランキング」 を発表しました。

  それによると、女子は一位「漫画家・イラストレーター」 二位「教員」、男子は一位「スポーツ選手」 二位「ゲームクリエーター」とのこと。

 

一方、ゲームメーカー・セガの社内では、一昨年ある勉強会が開かれました。 そこで使用された教材が、セガ公式ブログにおいて公開されています。

  その主な内容は、グラフィックを3次元回転させるときに使用する 「四元数(しげんすう)=クォータニオン」 についての解説。

  これはゲームのプログラム作成チームはもちろん、美術チームでも当たり前のように使われている原理だということです。

 またツイッターの同社公式アカウントからは 「数学はゲーム業界を根っこから支える重要な役割を担っています」 とのコメントが発表されました。

 「三角関数や虚数に出会って、これが何の役に立つのか理解に苦しんでいる学生たちに、数学の知識がゲームやグラフィックを作成するうえで絶対必要なものであることを知ってほしい」 という願いを込めて資料を公開したそうです。

ゲームやアニメばかりではありません。 今やどのスポーツにおいても、練習方法から使用器具、ユニフォームに至るまで

 数学・科学の力を借りずにメダルをとることは不可能だと言われています。

​ さらに農業、料理、衣類等々すべての分野において、数学的・科学的なバックアップによって新しい技術が開発され実用化されています。

 

 生活と無縁の勉強などどこにもないということを念頭において、どうぞ真摯に目の前の教材に取り組んでください。

 将来の職業が何であれ、蓄えられた知恵が常に次の目的地を示してくれます。

 学習とは、新たな可能性を拓く魔法のカギなのですから。

 

熱意にあやかる輪廻

     (令和4年8月26日)

できるだけ簡単に平行四辺形を描く方法は? ひと夏考えた結論は「任意の四角形を書いて、四辺の中点を結ぶ」というもの。

どんな四角形でもかまいません、ぜひお試しください。(中3数学「中点連結定理」の応用です。)

 

 さて、世界の三大数学者と言えば、アルキメデス (紀元前3世紀、古代ギリシア)、ニュートン (17~18世紀、イギリス)、ガウス (18~19世紀、ドイツ) の三人ですが、お馴染みなのはやはり力学法則の確立や微積分法の発見で知られるアイザック・ニュートンでしょう。

 

 彼がカレッジを卒業し学位を取得した1665年から翌年にかけて、ヨーロッパはペストの大流行に襲われました。 そのために学校が休校となり、彼も故郷での自粛生活を強いられることになります。

しかし、かの天才はこの逆境をものともせず、むしろ学内の雑用から解放されたのを幸いとばかり、それまでの研究の集大成に取り組んだのです。

 結果的に、彼はこのわずか1年半の間に 「ニュートンの三大業績」 とされる 「万有引力の法則」 「微分積分法」 「光の分析」 の構想を練り上げました。

 のちに「創造的休暇」と称賛されるこの期間、まさに350年後の私たちが手本とすべき自粛生活の鑑(かがみ)と言えるでしょう。

 

 思えばはるか昔、入浴中に流体静力学(りゅうたいせいりきがく)の原理(「アルキメデスの原理」)を思いついたアルキメデス。

 自粛期間中にりんごの落下から「引力の法則」のヒントを得たニュートン。

 わずか15歳のとき15分間の空き時間に「素数定理」を予言したガウス。(これは百年後に証明されました)

 

 彼らの熱意にあやかるべく、異時代異国の若き数学者になったつもりで 「創造的引きこもり生活」 に挑戦してみるというのも悪くありません。

  と言うわけで、まずは平行四辺形の作図から…。

 

流れに乗せる香り花

     (令和4年9月21日)

 「秋の日はつるべ落とし」。

 つるべ(釣瓶)とは水を汲むために井戸の中に吊るした桶のこと。 その桶のように秋の夕陽はあっと言う間に沈んでしまうという例えです。

 日の出から日没までの「昼の時間」をグラフにしてみると、12月から6月にかけてひと月に約50分ずつ長くなり、6月夏至の頃を境に11月にかけてまた50分ずつ短くなっていきます。

 「春はゆっくり、秋は突然やって来る」とも言われます。 1月から8月まで7か月かけて上昇した気温は8月から翌年1月にかけて5ヵ月で下降します。

 

 体感的にも、三寒四温を繰り返す春より、先週まで蒸し暑かったのにという秋の訪れの方が急速に感じますね。 暖房より冷房の方がエアコンの負担が小さいように、暑くなるより冷める方が早いということです。 恋愛と同じだなんて言いませんけれど(笑)。

 

 (ここでお知らせです→) 来たる十月一日、一乗谷朝倉氏遺跡博物館がオープンします。

敦賀・三国の両港を有し(昔は日本海が交易の要でした)、応仁の乱で疲弊した京の都をほうふつとさせるほどの栄華を誇った越前国(えちぜんのくに)・朝倉氏一族。

最後の領主義景は上洛(京に入り武将としての地位を高めること)の機会を有し、一時は織田の軍勢を追い詰めながらも、あと一歩のところで逸します。

さらに福井・石川で勢力を強めた一向一揆や身内の裏切りに苦しめられ、三日三晩に渡る一乗谷炎上を見届けたのち自刃を遂げました。

  ちなみに、その後独裁者信長を討ち天下統一への道筋を開いた明智光秀は、かつて朝倉家に滞在していた客将(かくしょう)でした。

 

 以来四百五十年を経て身を隠すようにたたずむ理想郷。 一族の栄枯盛衰を知る遺構と清流が、今もなお美しい物語を語り継いでいます。

 

「楽」は「苦」から

     (令和4年10月21日)

​​ 「なんで勉強しなきゃいけないの?」 お子さんにそう聞かれたら、それは立派な成長のしるし。 むしろその疑問を抱かずに先に進むべきではありません。

 答えを濁さずにご一緒に考えてみてください。

 

 参考までに、私の好きな教育書を5冊紹介させていただきます。

​1 ご父兄あるいは中学以上のお子さんにお勧めしたいのが、斎藤孝さんの「勉強のチカラ!」(宝島社)。 自主勉強のコツ、各科目の必要性と面白さが書かれていて入門書としては最適です。

​​

2 小中学生向けには、同じ著者による 「勉強なんてカンタンだ!」(PHP研究所)。 勉強の習慣をつける方法が具体的に書いてあります。 この本には文庫版も出版されていて そちらには“パート2・入試編”も含まれているのでお得です。

3 「なんで勉強しなきゃいけないの?」(金の星社)。 秋山仁さんたち(共著)による1巻と荒俣宏さんたち(共著)による2巻があります。 数学者、音楽家、ユーチューバーなど、それぞれの職業体験に基づく勉強論が楽しめます。

4 同じタイトルですが、こちらはNHKEテレ編集による 「なんで勉強しなきゃいけないの?」(ほるぷ社)。 人気番組を書籍化したもので 「なんでお母さんはいつもおこるの」 などシリーズ本になっています。

5 佐藤慧(けい)さんの「勉強なんてしたくない君へ」(東洋館)。 自身が不登校を経験し、世界各地でのボランティア活動を通じて現在はジャーナリストとして活動されている方です。 「楽」と「苦」は、実は近いところにあるものだということがおわかりいただけると思います。

 

村北君が書いてるコラム

      (令和4年11月25日)

 もう15年近くになります。 このコラムを書かせていただくようになってから とにかく何でもメモするのが習慣になりました。

 面白そうな話題や初めて聞く言葉などを手帳に書き込んで、あとで詳しく調べてはパソコンに残しておきます。

  それを生徒さんたちに話したときの反応や感想を参考にして、毎月の原稿を書いてきました。

 一度だけ編集さんに指摘されて鼻高々に書いたニュースがフェイクだったことを知り、冷や汗をかいたこともありましたが(笑)。

 

 私たちが日々大量に接する情報の中で、翌週まで正確に記憶に残されるものはほとんどありません。 忘れるというのも人間の大切な能力には違いないのですが、これではもったいないかぎり。

 手帳にメモして、あとで補足してパソコンに記録する。 それだけでも、一年間に数十ページ分の量になると思います。

 年末あるいは年度ごとに印刷して、ホッチキス(これ実は製造会社の名前で日本以外ではステイプラーstaplerと呼びます)を使って製本すれば、自分だけの百科事典(Encyclopedia)のできあがり。

 たまにじっくりと味わいながら読み返すと、まさに 「知るは楽しみなり」 という言葉の意味を実感できるでしょう。

 

 「知るは楽しみなり」 NHKのアナウンサーだった鈴木健二さんがクイズ番組の冒頭で毎週語っていた言葉です。

「知る」ということは、人間にとって何にも勝る「楽しみ」なのです。

15年かけて私が伝えたかったことは、それだけのような気がします。

どんな教育者も、生徒をせいぜい学問の入り口近くまで案内することしかできません。 走り過ぎる後輩たちに旗を振って、無言で見守るだけです。

 教育とは知識の受け渡しではなく、人の心に火を灯(とも)すようなものなのかもしれません。

 その灯りを見失うことなく、すべての子供たちが謙虚さを持って「楽しみ」を求め続けるよう願うばかりです。

ん・・・なんか変?

      (令和4年12月24日)

 

 いつも不愛想な上司が愛想よくしてくれた。 友人がみんな親切すぎる。

 「ん…なんか変?」 と思ったことはありませんか。

 それはきっと、周りではなく自分がいつもと違うからです。

 受け入れるのも拒んでいるのも、いつも自分。 何かの拍子に心境が変化したとき、いつもと違う世界があなたの周りに出現します。

 

 ですから、周りの世界を心地よくするために、自分をもっともっと成長させる必要があります。

 勉強は順位を競う道具ではなく、世界を変えるために人間に与えられた特権なのです。 そして知識とは、望めば望むだけ得られる限りのない資源です。

 

 毎年クリスマスになると、周囲が愛に包まれるような気がします。けれど12月25日という日付に意味はありません。(聖書にも日時を特定する記述はありません。)

 クリスマスは大切なことを思い出すために自分自身に魔法をかける、神様のくれた特別な一日なのでしょう。

 

 どんな人にも愛される権利がある。どんな人生にも価値がある。それを信じることができれば、毎日クリスマスケーキを食べたってかまいません(笑)。

 これから 「なんか変?」 というときめきを感じたら、このコラムのことを思い出してくださいね。

 

 (追記)昨年1月から、副題の最初と最後の文字を同じにして、”いろは”の順に並べてきました。(なんか変なタイトルだと思われた方もいらっしゃるでしょう。)

 先月が私の頭文字「む」でしたので、今月はひと段落の意味で「ん」にしました。 来月からは、ホームページであと24か月かけて最後の「す」までお届けします。 是非お読みください。

 

 さて、15年にわたるご愛読、ありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。会ったことないですけど。

  (ひと言多い ← 編集者の声)

 

 Now , all the best for your life !

令和5年

  1月 う・「卯年、飛躍の年に思う」

  2月 ​ゐ・「ゐなかにさくあぢさゐ」

  3月 の・「望みを繋ぐもの」

​​  4月 お・「大村知事から届く笑顔」

  5月 く・「口に馴染んだあの文句」​

  6月 や・「やたら長いけどあやふや」

​  7月 ま・「まず結論ありきがジレンマ」

  8月 け・「結果を位置づけ」

​  9月 ふ・「フォーマットしてキックオフ」

​ 10月 こ・「好循環が生む宝石箱」

 11月 え・「遠方より届く教え」

 12月 て・「転職に関して」

令和6年

  1月 あ・「あけましてトリビア」

  2月 さ・「才能を伸ばす未熟さ」​

  3月 き・「貴重なバランス意識」

​​  4月 ゆ・「揺るぎない訓諭(くんゆ)」

  5月 ​め・「目にする輝きは何年目?」

  6月 み。「未知は強み」

​  7月 し・「7月に大掃除開始」

  8月 ゑ・「ゑまう都に集うこずゑ

​  9月 ひ・「人に依りかからぬ慈悲」

​ 10月 も・「もったいないかも」

 11月 せ・「世界が教えるものを活かせ」

 12月 す・「スタートしなおします」

​​

卯年、飛躍の年に思

     (令和5年1月1日)

 今年はうさぎ年。正確には「癸(みずのと)卯年(うどし)」といいます。

 実は「十二支」のほかに、「十干(じっかん)」というものがあるんです。

 「癸」はその10番目、最後の要素です。

 ちなみに、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場が完成したのは1924年。

 この年は十干が「甲(きのえ)」、十二支が「子(ね)」、つまり甲子(きのえね)の年だったことから「甲子」の名が付けられました。

 十干と十二支の組み合わせなので120通りあるように思われますが、両方とも偶数で2つずつずれていくので、「十二支」の中の偶数番目と「十干」の中の奇数番目が組み合わされることはありません。

 ということで全60通り。60年ひと回りすると「還暦 = 本卦還り(ほんけがえり)」となるわけです。

 

 ウサギは安全の象徴、またその跳躍力から飛躍や向上の象徴とされます。

 その卯年の始まりにあたって目標を新たにしている方も多いと思いことでしょう。

 できれば「勉強を頑張る」「新人戦優勝」などの一般論的な目標ではなく、そのためにどこをどうするか具体的な手段を目標に据えることをお勧めします。

 意識の改革ではなく、方法の改革が現実的です。

 「お金持ちになりたい」というのならお金持ちの具体的な定義を、「女性にもてたい」のならもてる男性の具体的な特徴を学習することです。

 1万円札やアイドルの観察から始めるのもいいかもしれません。

 

 「仕事に励もう」と意気込むより、誰よりも高価なスーツを新調したり、会話のネタを豊富にするために新聞・雑誌を定期購読したり、英会話教室に通ったりする方が、価値があるように思えます。

 「形から入る」という日本的な発想は、決して過去にだけ当てはまるものではありません。

 大地を踏みしめるたくましい後足が、美しい飛躍の原動力です。

ゐなかにさくあぢさゐ​(田舎に咲く紫陽花)

                    (令和5年2月1日)

 

 このコラムのサブタイトルを「いろは」の順に並べていることは、ご存知のとおり。

 その「いろは」を生徒さんに書いてもらうと、「いろはに」と「ういのおくやま」という所に「い」が2回出てくるのはどうしてか、また「けふこえて」と「えひもせす」という所に「え」が2回出て来るのはどうしてかとよく聞かれます。

 正確には「うゐ(有為)のおくやま」(=様々な因果関係の絡む深い山のような人生)、「ゑひもせす」(=酔いもしないで)というように「ゐ」と「ゑ」が使われているので、「い」と「え」が2回出てくるわけではありません。

 「ゐ」と「い」、「ゑ」と「え」の使い分けについては省略しますが、現在の「あいうえお」の表に抜けている「わ行=わwa・ゐwi・うwu・ゑwe・をwo」が存在し、発音も異なっていたと言われています。

 時代とともに「ゐ」「ゑ」の発音が「い」「え」に吸収されてからも、単語によって文字が使い分けられてきました。

 「マイ・フェア・レディ」に出てくる音声学の大家ヘンリー・ヒギンズ教授が聞いたら、 ”Why Can't The Japanese?”(なぜ日本語が話せないんだ)と憤慨するでしょうか。

 

 こんな例もあります。「見られる→見れる」「来られる→来れる」などのいわゆる「ら抜き言葉」は一時は正しい日本語ではないと批判されましたが、すでに多くの場面で通用するようになり、むしろ多数派と言ってもいい状況です。

 また、「ぜんぜん~する」という言い方は間違っていると言われますが、もともと「ぜんぜん」の後に肯定文がくることは間違いではありませんでした。

 大正時代くらいまで「ぜんぜん」は「すべて」という意味で用いられていたのです。夏目漱石の「坊っちゃん」にも「生徒が全然悪い」という一節が見られます。

 それが次第に否定的に用いられるように変化して現代に至っているのです。

 

 このように、言葉は時代とともに変遷してきました。個人的な感想ですが、現代の女子高校生のように新しい言葉に敏感なのはいつの世でも女性であったような気がします。

 日本語のルーツを探る旅は、まず徒然草や漢文の素読からがお勧めです。

 意外に快く楽しいものですよ。

 是非お試しあれ。

望みを繋ぐもの (令和5年3月1日)

 

 春は名のみの寒風の中、3年ぶりにマスク着用規定が緩和されます。

 今年卒業を迎えた生徒さんの中には、マスクをはずした同級生の顔を卒業式で久しぶりに見るという人も少なくないでしょう。

 卒業生に限らず多くの子供たちはこの3年間、家族と共に旅をする楽しみや、さまざまな青春時代の想い出づくりの場をほとんど経験せずに過ごしました。

 マスクの印象が強すぎて、数年後の同窓会で顔と名前を一致させるのに苦労するのではないかと余計な心配までしてしまいます。

 ご父兄や先生方も、感慨深くで今年の卒業シーズンを迎えておられることでしょう。

 

 卒業式と言えば、私は以前から給食を作り続けた方々を卒業式に招待して子供たちの門出を見てもらったらどうかと考えていました。

 最近は何もかもが清潔・便利になってしまって、大人でも肉や野菜が最初からパックに入って並んでいるような、あるいはどこかのテレビゲームのように毎日エサと水をやれば家畜や野菜が勝手に育つような錯覚を抱くことがあります。

 日常当たり前のように享受している清潔・便利が、実は多くの人の尽力の上に成り立っていたということを、今回のコロナ騒ぎは改めて気づかせてくれました。

 

 互いの気持ちを察することができない社会は不幸です。

 数年後の子供たちが「そう言えば学生のとき、みんながマスクをしていた時期があったっけ」と振り返るとき、その苦難を乗り越えるために日夜を問わず働き続けた人々がいたこと、当たり前のように見える清潔さと便利さを支える縁の下の力があることを思い出してほしいと願わずにいられません。

 明日への望みを繋いでいる尊い尽力を、決して忘れてはならないのです。

 

 ともあれ、この春日本全体がマスク生活からのひと段落の卒業を迎えようとしています。

 ご卒業おめでとう。

 Bon Voyage!(よき人生を)

大村知事から届く笑顔 (令和5年4月1日)

 

 2016年9月、ファミール誌に「そろそろなんとかして」というタイトルのコラムを掲載させていただきました。

 時間と資源の有効活用、そして家族単位の活動尊重のために、もっと自由な休日の決め方をしてほしいという内容でした。

 画一的な休日をどれだけ増やしても、限られた時間と設備の奪い合いにしかならないと思ったからです。

 同じ考えの方が愛知県にいらっしゃったようで、7年後の先月愛知県の大村秀章知事から「休み方改革」の一環としてふたつの施策が公表されました。

 

 ひとつは「ラーケーションの日」。

 これは、learning(学習)とvacation(休暇)を組みあわせた造語だそうで、愛知県内の公立校に通う生徒が、年に3日まで自由に学校を休んで保護者とともに過ごすことを認めるというもの。

 もうひとつは「県民の日学校ホリデー」。

 毎年秋の「あいちウィーク」期間中、各学校が自由に1日を選択して休業日とするものです。

 2つの施策とも年内に実施されます。

 

 先月27日、人事院の有識者研究会から国家公務員の週休3日制が提言されました。

 次第に認知されつつある「働き方・休み方改革」ですが、ゴールデンウィークや旧盆のように多くの国民が一斉に休むのではその効果が半減します。

 特にこの3年間、子供たちは行動に大きな制限を受けて過ごしました。

 子供時代の3年間はさぞ長い空白の時間だったに違いありません。

 せめてこれからは子供たちが自由に非日常の世界を満喫できるように、格別の配慮をいただけたらと切に願っています。

口に馴染んだあの文句 (令和5年5月1日)

 

 以前「真珠港」というタイトルで、「港はharbor、湾はbayだから、Pearl Harborは真珠湾でなく真珠港が正しい」と書いたことがありましたが、今回も意外に知られていない外来語の語源を集めてみました。

 たとえば映画の街として有名な「ハリウッド」。

 日本では聖林と書くこともありますが、よく見るとholy(聖なる)ではなくholly(ひいらぎ)、つまりHollywood=ひいらぎの森というのが正しい名前なんです。

 このように意外と知られていない勘違いを並べてみましょう。

 

 「背広」とか「お転婆」、博多の「どんたく」などと日本語のように思われている言葉も、実は英語のcivil clothes(シビルクローズ=市民の服)ontembaar(オーテンバール=オランダ語で扱いにくいという意味)、zondag(ソーンダック=オランダ語で日曜日という意味)にそれぞれ由来する外来語なんです。

 同じく、東京駅周辺の「八重洲」は、家康の時代に通訳として来日していたオランダ人ヤン・ヨーステンから取られた名前でした。

 ちなみに、長崎県の「佐世保」はフランス語のC'est bon(セシボン=素晴らしい)から来ているという説がありますが、フランス人が来る前からこの町の名は存在していたようで、これは間違いのようです。

 

 「アルバイト」はarbeit(ドイツ語で労働の意味)、「ハンバーグ」はその発祥の地とされるドイツの都市Hamburgの英語式発音ハンブルクから来ています。

 また、寿司の「バッテラ」は形が船のように見えることからポルトガル語で小舟を意味するbateira(バッテイラ)と呼ばれるようになり、「天ぷら」も、ポルトガル語のtempero(テンペーロ=調理)が転じたという説が有力です。

 さらに私の大好きな「ポン酢」も実はオランダ語のpons(ポンス)が由来と言われています。

 回転寿司にマイポン酢を持参する私には、まさに衝撃の事実でした(笑)。

 やたら長いけどあやふや  (令和5年6月1日)

 

 「~したときぃ、~があってぇ、~だからぁ、~になっちゃってぇ、~なんだけどぉ」…。やたらと長い話し方をする人がいます。

 たくさんのことを話しているようで、結局言いたいことは何も伝わらない。

 

 ①結論は最初に述べる。

 ②ひとつの文章に言いたいことはひとつ。

 ③ひと息で言えない文章、原稿用紙で3行以上の文章は避ける。

 これだけで、会話や作文がぐっと引き締まった印象を与えます。内容もわかりやすいはず。

 新聞記事は専門用語や外来語が多いため少々長めですが、とてもいい教材になりますよ。意識して読んでみましょう。

 

 誰でも伝えたいものを持っています。それが正しく伝えられなくて、さまざまな苦労や悲喜劇が生まれるのはご存知のとおり。

 自分の気持ちや意見を正しく伝えることは、大きな意味を持つ能力です。

 ちなみに、日本人の歌唱力がアップしたのはカラオケのおかげ、国語力がアップしたのはeメールからSNSへと繋がる通信技術のおかげ、とも言われます。

 ならば、とにかく無駄を省いた明解な文章に多く触れることです。

 小説でも映画でも、好みの文章、好みのセリフに出会ったら、パソコンに残しておいてはいかがでしょうか。

 

 正しい表現方法を身につけると自分の主張に自信が持てるようになります。

 地方出身者が方言にコンプレックスを持って人付き合いを避けたり、せっかく外国に行っても日本人だけで行動したりするのはよく耳にする話。

 自分の感情を表現できない(しない)のは、大きな損失です。

 

 学習は単なる知識の伝達ではなく

 人生にゆとりと楽しみを与えてくれます。

ず結論ありきがジレンマ  (令和5年7月1日)

 

エピソード①

 ある科学者が、大きな音で昆虫を驚かせてジャンプさせるという実験をしていました。

 ある日、その虫の足を何本か取ったところ虫は跳べなくなりました。

 そこでその科学者の出した結論は、「予測どおり、この昆虫は足を取ると耳が聞こえなくなる」というものでした。

エピソード②

 先日ある番組で、「You and I」という同じ発音を聞いても、「言えない」という文字を見ながら聞くと「言えない」と聞こえるのに、「言える」という文字を見ながらだと「言える」と聞こえるという面白い現象を体験しました。

 

 「水路付け」という言葉があります。人はある思考に縛られると、異なる思考を受け入れにくくなるという心理学用語です。

 小説の中の名探偵たちは、推理の過程を決して周囲に明かしません。もったいぶっているわけではなく、先に結論を知ると人はその結論に都合のいい証拠しか見ようとしなくなるからです。

 それほど先入観は思考の妨げになります。

 

 目的地に向かっているときの時間より、帰りの方が短く感じたことはありませんか。

 子供の頃、あんなに長く感じた夏休みも、今ではカレンダーを1枚めくるとすぐ終わりが見えてしまいます。

 

 逆に新しい趣味や習い事を始めると1週間がとても長く感じます。

 このように、未知のものに触れると周囲から得られる刺激と情報はずっと多くなります。

 

 「リトマス試験紙は、酸性の水溶液に触れると赤色、アルカリ性の水溶液に触れると青色に変わります。これを実験してみましょう」

 「この靴を履くと速く走れます。タイムを比べてみましょう」

 

 このような結論ありきの実験からは正確な情報は得られません。

 学習とは「仮説と検証」の繰り返し。

 子供のような好奇心を失わず、結論・結果を急がない粘り強さこそが大きな才能に違いありません。

結果を位置づけ  (令和5年8月1日)

 夏休み後半に向けて---

 「本気さえ出せばできる」と思っているうちは、何もできません。また、他人の行動を見て「そんなこと誰にもできるだろう」と安易にかまえていても、実行するのははるかに難しいもの。

 当たり前のことでも、やるのとやらないのとでは雲泥の差があります。そこそこの努力や覚悟でできることなど、ひとつもありません。

 

 最近スポーツニュースを見ていると「〇〇選手はホームランで勝利に貢献しました」「ファインプレイでレギュラー入りをアピールしました」という解説をよく耳にします。

 チームワークに徹したプレイヤーは貢献しなかったのかと、目立たなかった選手の父親になったつもりで勝手に腹を立てています。

 もちろん「全国〇〇校の頂点に立ちました」というお決まりの表現にも、1回戦で負けた選手はすそ野なのかと、きちんとツッコミを入れています(笑)。

 

 「貢献する」「アピールする」「本気さえ出せば」というのは、順位を競いたい、認められたいという欲求から生まれる表現です。

 けれどそれを決めているのは所詮他人の目、スポーツや学業の本質とは無縁のものです。

 

 一方でニュースに取り上げられることはありませんが、順位を競わず完走することだけを目的とする過酷なレースも開催されています。

 賞金も名声も約束されず、完走できるのは数名だけという厳しい条件のもと、間に合わなくてもとにかく走るという、そんなアスリートたちが存在するのです。

 結果の位置づけにとらわれず、黙々と完走を目指す孤高のランナーたち。

 人生という長い道のりを謳った「My way」という歌を思い出しました。

フォーマットしてキックオフ  (令和5年9月1日)

 洋画のエンドロールを見ていて、「外人はこんなに早く大量の英語を読めるんだろうか?」と疑問に思ったことはありませんか。

 こちらは有名なスターや監督の名前をいくつか見つけるのが精いっぱいで、あとはただ眺めているだけなのに。

 けれどそれはお互いさまで、外国人たちは、「鳥」と「島」、「妻」と「毒」を瞬時に読み分けたり「叱咤激励」「大規模災害対策特別本部」などをスラスラと読む日本人を、脅威をもって眺めているんです。

 

 問・「バイリンガルは、日本にいるときは日本語の夢を、アメリカに帰ると英語の夢を見るといいます。では往復の飛行機の中ではどんな夢を見るでしょう?」。答・「字幕付きの夢」…。

 これはジョークですが、私も旧友と電車で同席したとき、米原までの北陸本線では福井弁、新幹線に乗ったとたん標準語で話すという不思議な経験をしたことがあります。

 使い慣れた言葉でさえ無意識のうちに切替えが行われているのだと、とても興味深く感じました。

 

 

 刻々と変化する自然を、詩人は詩人の目で、科学者は科学者の目で見つめます。両者には何に関心を持つかというフォーマット(初期化)の違いがあります。

 私たちはまぎらわしい漢字を見たとき、まずどこに注目すべきか経験から判断し、文意にも照らし合わせて読み分けているのです。

 この切替えを勉強に応用して、数学を勉強するときは計算用紙を、歴史には年表を手元に置くようにするとか、さらに理科の勉強をするときは自然や実験が大好きになったつもり、国語の勉強では詩人になったつもりで教材に向かうといった切替えを行うと知識を整理しやすくなります。

 

 また、暗記、計算、読解など異なるスキルを使う科目を意識的に交代していくと、頭の切替えができて疲労が少なくなるように感じることがあります。

 数学や国語のような長時間の思考を要する科目と、短時間を繰り返す方が効率のいい暗記科目を組み合わせるのもいいでしょう。

 広大な学問の世界へキックオフする前に

 きちんとフォーマットできているかご確認を。

好循環が生む宝石箱  (令和5年10月1日)

 

 「勉強ばかりしていると性格がゆがむ」、「イヤなことを無理してやる必要はない」という方もいらっしゃいます。

 けれど、人間に秘められた無限の可能性は、磨かなければ伸ばすことができません。

 個性とは好きなことを楽しくやっていれば自然に形成されるというものではなく、長年の努力によって初めて輝きを与えられるものです。

 さまざまな技能を習得するために、人間が長い年月をかけて生み出した制度がスクール(語源はギリシア語のスコレ=自由な時間)というシステムであり、テキスト(語源はラテン語のテクストゥス=織物)というツールなのです。

 

 たとえばラグビーについて少し本を読むと、各ポジションの役割や作戦の組み立てがわかるようになってもっと楽しめるようになります。

 馬に乗ってみると、馬とのコミュニケーションの取り方がわかるようになります。

 何ごとにおいても、勉強を続けていると多種多様な充実感と感動を知ることができます。

 これが知的な好奇心や向上心を刺激して、ただ教えられるのでなく自ら学びたいという欲求が芽生え始めます。

 さらに高みに登ると、異なる高みを目指す人々との出会いが生まれ、世界は宝石箱のようにさまざまな輝きを見せてくれます。

 

 「幸せだから感謝する」そして「感謝するから幸せになる」。

 「チームワークがいいから試合に勝てる」そして「試合に勝つからチームワークがよくなる」。

 これと同じように、「勉強するから世界が広がる」そして「世界が広がるから新しい勉強の扉が開く」という好循環が生まれます。

 

 勉強を嫌いにならないように教材の量を減らしたり音楽の教科書に流行歌を入れたりしてハードルを下げるのでなく、量と質を高めることでやる気を出す方法もあるということを是非ご検討ください。

遠方より届く教え  (令和5年11月1日)

 

 チャップリンの喜劇映画「モダンタイムス」が公開されたのは、二・二六事件の起こった1936年のこと。

 人間が機械に使われる社会を描いて、人間性の崩壊を予言しているようだと話題になりました。

 それから90年後の現在、私たちはスマホやパソコンなしでは仕事もできない日々を送っています。

 となり合わせていてもディスプレイに集中する人々。

 世界中と繋がっているつもりが実は目の前の現実と切り離されているという、情報化のもたらす「分断化社会」が、チャップリンの予言どおり現実のものとなったのです。

 

 また昨今ではSNSへの過度の依存によって「映(ば)える」「バズる」もの探しが多くの人の関心事となり、「いいね」の数が良し悪しの基準になっているように思えることがあります。

 自分が本当に食べたいものや見たいものではなく、他人に共感してもらえるものを求めて時間と労力を消費している社会。

 機械を使っているのか機械に使われているのか。

 余計なお世話と知りながら「疲れないですか?」と声をかけたくなります。

 

 さらに無責任な発言や批評が人を傷つけたり、捏造された動画やニュースが世界中に広がっていくということも少なくありません。

 130年ほど前、当時登場したばかりの映画が「一時の娯楽にすぎないオモチャ」と言われ、80年ほど前に日本に初登場したテレビが「幼稚な電気紙芝居」と呼ばれたように、現在のインターネットもまた、遠い未来からの「教え」を秘めた未完のツールなのでしょうか。

 

転職に関して  (令和5年12月1日)

 江戸時代の職業を大きく「武士」「農民」「職人および商人」の3つに分類すると、その人口比率は「武士」7%、「農民」85%、「職人および商人」5%くらいであったと言われています。

 なんと国民の85%が農業に携わっていたんですね。

 ただし参勤交代の制度によって全国の大名屋敷が江戸に置かれていたため、18世紀に人口100万人という世界一の都市となった江戸の町の中に限って言えば、約半数が武士であったということです。

 人口の半数が侍というのも、怖い気がしますけど(汗)。

 さて、明治維新から約150年後の現在。日本人の産業別労働人口の比率は、第1次産業(農業、漁業など)が全体の約5%,第2次産業(製造業、建築業など)は約25%、第3次産業(販売、運送などのサービス業)は約70%となっています。

 第1次産業人口の減少と第3次産業人口の増加が顕著に見てとれます。

 これだけ急激に産業別の人口構成が変化した国は珍しいでしょう。

 職業の選択に限らず、その働き方にも「テレワーク」「週休3日制」「短時間労働」「副業可」等々、選択の幅が広がりました。

 さらに、生き方、暮らし方、学び方にも、わずか数十年前には想像もできなかったような多くの選択肢が許されるようになりました。

 これからもその幅は広がる一方でしょう。

 

 他方で、新しい業態として意識的に商品数を絞った店づくりや用途を極端に限った商品が注目されているという話題も最近よく耳にします。

 マーケティングの世界ではニッチ(niche=隙間)という言葉がよく使われます。

 大手企業が手を出しにくいきわめて小規模な市場を狙った事業戦略のことです。

 わずか数坪の商店や目的を絞った商品が、多くの顧客を惹きつけることは珍しくありません。

 人は選択肢が多いほど、自分の判断に不安を感じて満足感が減少するという「選択のパラドックス」と呼ばれる現象があります。

 

 「選択肢が多いことが幸福とは限らないのでは?」などと、師走のあわただしい中、職業別人口割合の資料を集めながら余計なことを考えてしまいました。

あけましてトリビア  (令和6年1月1日)

 元旦の「旦」という字は、見た目どおり水平線から日が昇る状態を表した漢字です。

 つまり「元旦」とは、元日の朝を意味する言葉ということになります。

 また「新年」という言葉自体に年が改まったという意味が含まれているので、「新年、明けましておめでとうございます」という挨拶は、厳密には意味の重複する間違った言い方(重複表現、重言=じゅうげん)だと言えます。

 ちなみに「明けまして」というのは年が改まったという意味ですので、「まだ夜が明けてないのに、明けましてというのはおかしい」ということはありません。

 

 そもそも、どうして新年がおめでたいのでしょうか。

 江戸時代には、年齢を「満」ではなく「数え年」で考えていました。

 0才という概念はなくて、赤ちゃんは生まれたその日から1才。

 そして誕生日に関係なく、年が改まる瞬間に全員が一斉に年をとりました。

 そこで「明けましておめでとう」ということになるのです。

 余談になりますが、昔は日没が一日の終わりだと考えられており、大晦日の日没時に年が改まるとされていました。

 冬は日没が早いので、まだ夕方になったばかりの時間から除夜の鐘を撞(つ)いて新年を祝っていたのです。

 しめ縄と門松を目印にやってくる年神様をお迎えして生命力を高めるために、大晦日は寝ないでいるという「年籠り(としごもり)」という習慣もあったそうです。

 

 月の満ち欠けを基準にした太陰暦(旧暦)では、新月の日が朔日(ついたち=月の始め、1日)とされており、365日でひと回りする季節との誤差は閏月(うるうづき)を入れることで調整していました。

 閏月の入った年は13か月あったということになります。

 旧正月とはその旧暦に従った日ですから、太陽の動きを元にした立春とは根本的に異なります。

 旧正月は現在の暦で1月下旬から2月下旬、立春は2月3日か4日なので、ごくまれに両日が重なる年もあります。

 それでは、どうかこの年が皆様にとって幸多い年でありますように。

才能を伸ばす未熟さ  (令和6年2月1日)

 

 2018年と2020年の全米オープン、ならびに2019年と2021年の全豪オープンで優勝したテニスプレイヤー大坂直美さんは、「チャンピオンになって生活が一変したのでは?」という問いに、「いえ、今までと全く同じ練習を続けています」と答えました。

 また、メジャーリーガー大谷翔平さんは渡米後も毎日10時間の睡眠時間を確保しているそうです。

 そのため、昨年ニューヨーク市内には「もし仮にショウヘイがヤンキースに来ることになっても、むやみに声をかけたり誘ったりしないように」というメッセージが流されていたそうです(笑)。

 何かにつけてお祭り騒ぎやホームパーティの好きなアメリカ社会において、二人のストイックなまでの生活リズムは奇異に映ることもあるでしょう。

 なぜ彼らは、そこまで基本的な生活習慣にこだわるのでしょうか。

 室町時代に能を大成させた世阿弥の書「花鏡」に、「初心忘るべからず」という有名な一節があります。

 新年あるいは新年度を迎える式典などでよく引用される言葉ですが、ここでいう「初心」とは未熟さのことだと聞いたことがあります。

 おのれの実績や才能に溺れることなく、過去・現在の自分の未熟さを自覚せよという教えだそうです。

 未熟さを知る人間ほど、多くの伸びしろを秘めています。

 いえ、自分の未熟さを知ったときから本当の成長が始まるのかもしれません。

 つまり、壁にぶち当たったときこそ成長するチャンスだということでしょう。

 「初心」を忘れることなく、未熟さが育(はぐく)む才能を信じて、大坂・大谷両選手のように堅実な歩みを続けたいものです。

 ”急がず、休まず”

 

貴重なバランス意識  (令和6年3月1日)

 頭の中にも心の中にも、「今を楽しむための部分」と「将来に備えて自分を高めるための部分」があります。

 そしてそのどちらにも容量の限界がありません。

 ですから成長期において、この二つを車の両輪のようにバランスよく成長させることが重要です。

 植物の成長に太陽の光と恵の雨が欠かせないのと似ていますね。

 

 本能とは、種が受け継いできた先天的な記憶と言えるでしょう。

 それをさらに磨き役立てるために、後天的な知識を学ぶ「school=学校」という制度が、古来より全世界に誕生・発展してきました。

 記録によれば、4000年以上前のエジプト周辺にすでに学校のようなものがあったそうです。

 

 ”school”という言葉の起源は、ギリシア語の”skhole”(スコレー=余暇)だというのですから、私の好きな「余暇の善用」という言葉がそのまま学校というシステムの源泉だったのでしょう。

 

 我が国について簡単に言えば、1300年以上前に学校のようなものが出現し、701年の大宝律令によって全国各地に拡大。

 その後時代の変化とともにさまざまな展開を見せた後、1872年(明治5年)に発せられた教育法令「学制」によって近代的な学校制度へと成長しました。

 

 飼い猫はネズミを捕りません。

 人間も伸ばそうと努力した能力しか伸ばすことはできません。

 スポーツ選手にあこがれて、「好きなことでお金がもらえるなんてラッキーだなぁ」とうらやましく思う若者がいるかもしれませんが、彼らは耐え難い暑さ寒さの中で、多くの楽しみを犠牲にして青春時代の大半を過ごしてきたのです。

 

 「楽しむ心」と「備える心」。

 両者をバランスよく育てて、誰もが持つ無限の可能性を見失わないように願います。

揺るぎない訓諭(くんゆ)  (令和6年4月1日)

 

 「文章題がわかりません」「社会が苦手です」というのはよく聞く話です。

 しかも「文章題」の何がわからないのか、「社会」のどこが苦手なのか、本人もわかっていないことが少なくありません。

 そもそも問題点を具体的に検証できていないから行き詰まっているのです。

 問題を大きくとらえすぎると、本質が見えづらくなります。

 社会で起こるさまざまな問題も、「高齢社会」「被災地」「政治とカネ」などという言葉でひとくくりにしたとたん、本質から遠い議論へとすり替えられてしまいます。

 

 計算問題の配点は1問3~5点程度、それに対して文章題は1問15点から20点とすれば、文章題のミスが目立つのは当然です。

 だからといって「文章題で損をしている」という結論に飛びつく前に、まず文章題の回答ステップを詳しく考えてみましょう。

 

 ①問題文の意味するところを読み取る。

 ②出題者の意図をそのまま数式に表す。

 ③規則に従って正確に数式を解く。

 ④求められている答えを導く。(計算の結果がそのまま正解とは限りません)

 これらのどこが苦手なのか人によって異なりますし、当然その対策も全く異なります。

 文章を理解できているか(読解力)、数式を正確に解けるか(計算技術)、数式そのものを理解しているか(応用力)、考えたことを数学的に表現できるか(論理性)。

 教科書の例題をよく読んで、まず自分の苦手ポイントを見つけることです。

 

 他の科目についても、どうして積極的になれないのか、今までどんな努力をしてきたのか、得意な人はどんな勉強をしているのか、などを含めて具体的に振り返ってみてください。

 箇条書きにすれば、それがそのまま解決策になります。

 自分に足りなかったものを細かく書きだして、ひとつひとつ消していきましょう。

 応用問題やひっかけ問題にも対応できる確固たる基礎学習は、「あと1点」「あと1歩」の積み重ねから得られる揺るぎない訓諭となります。

目にする輝きは何年目  (令和6年5月1日)

 

 1964年(昭和39年)10月1日、東京オリンピック開会式の9日前に東京駅を出発した新幹線が、丸60年の歳月を経て先月福井に到着しました。

 開業当初「速すぎて風情がない」とも言われた新幹線でしたが、福井までの道のりは想像以上に長く険しいものだったようです。

 ようやく福井にたどり着いた北陸新幹線「かがやき」にちなんで、今回は空のかがやきのお話を。

 

 私たちが見ている星は、大きく3種類に分けられます。

 ① 紀元前 3000 年頃、古代メソポ タミアの人々が考え、ギリシャに伝って神話と結びついたと言われる88の星座。それを成しているのが「恒星」です。

 「恒」とは「変わらない」という意味で、その名のとおり地球から見た位置関係が変わらないことから、現在も同じ形の星座を見ることができます。

 

 ② これに対して「惑星」は地球と同じように太陽の周りを公転しているため、地球から見た位置関係があちこち変化することから「惑う」星と名付けられました。

 また、惑星は自ら光を発しないので、太陽系以外に属する惑星を肉眼で見ることはできません。

 

 ③ 残されたもう1種類の星は、惑星の周りを周回する「衛星」(月や土星の環など)です。

 ちなみに、よくある恒星の天体写真は長時間かけて集めたかすかな光を拡大表示したもので、残念ながら地球からは、どんなに大きな望遠鏡をのぞいても恒星は点にしか見えません。

 天体望遠鏡は、恒星を大きく見るためのものではなく、光を集めて明るく見るためのものと言った方が正確かもしれません。

 

 新幹線は60年かけて福井にやって来ましたが、私たちの見ることができる恒星は、光速(秒速30万Km)でも少なくとも500年以上かけて届いています。

 今あなたが目にしている星の瞬(またた)きは、はたして何百年前に発せられたものなのでしょうか。

未知は強み  (令和6年6月1日)

 120年ほど前(20世紀初頭)、ニューヨークの印刷工場に勤務していたウィリス・キャリア(Willis Carrier)氏が、インクの質を安定させるために冷媒を入れたパイプを利用して室内の空気を冷やす装置を作りました。

 これが人類初のエアコン誕生の瞬間でした。

 

 夏が暑いのは仕方ないという常識を、一人の技師が覆したのです。

 このように、誰もがただ見上げるばかりだった限界もいつか超えられる日が必ずやって来ます。

 今の限界を決めているのは、今の状況に過ぎません。

 

 自己紹介するとき、つい「〇〇が苦手です」「〇〇はよくわかりません」と、短所を強調してしまう人が多いと言われます。

 緊張から逃れたいという欲求から、自己否定する習慣を身に付けてしまっているのかも知れません。

 自分を生かすということは、自分をコントロールすること。

 自分が無力なのは、自分は無力だと決めつけているからです。

 下ばかり見ていると、まっすぐ進むことはできません。

 

 今後、学習を続けていくうえでどんな難問に出会っても、心の内に自信という灯をともして、胸を張って笑顔で立ち向かいましょう。

 限界は自分が決めているだけ。

 

 もちろん自分の未知を知り、未知と向き合うことは大切なことです。

 けれど、そこで卑屈になるのは、自分の弱さや不運を言いわけに努力を放棄するということ。

 退く必要はありません。

 未知の領域が大きいということは、実は何よりの強みなのですから。

7月に大掃除開始    (令和6年7月1日)

 

 7月1日と言えば、一年の折り返し地点。1年の上半期から下半期に移行する時期ですね。

 「笑点」の三遊亭小遊三師匠風に言えば「上半身から下半身へ」という大切な節目(笑)。

 

 特に今年は閏年(うるうどし)ですので、7月1日が一年のちょうど真ん中の日になります(他の年は7月2日です)。

 そこで今回は、ちょっと気の早い大掃除のお話を。

 

 私は数年前から「ただでさえ気ぜわしい年末に、わざわざ大掃除をすることないんじゃないの」と屁理屈をこねて、12月上旬までに身の回りの大掃除を済ませることにしています。

 たとえば7,8月は、引き出し、道具箱、本棚、DVDラックなど、狭いわりに手間のかかる場所。

 9,10月は、納戸、エアコンの室外器、タイヤ置き場、除雪用品置き場など、暇なときでないと手が回らない場所。

 11月から12月上旬までは、下駄箱や納戸、駐車場、不用品のたまり場などの共有スペースというような配分です。

 

 家中を大晦日に合わせてピカピカにする必要もないので、目標を書き出して一つずつ消していきます。

 

 実は勉強にもこの余裕は大切なのです。

 勉強の目的は、勝ち負けでなく「より広く、より深く」、昨日の自分を超えること。テスト前にバタバタと詰め込むようなやり方では、勉強の本当の楽しさは味わえません。

 攻略本を見てゲームのクリアを競ったり、テーマパークの中でスマホ片手に席取りばかり気にしているようなものです。

 

 一年の下半身に移ったこの日から、時間と気持ちにゆとりを持って、勉強の計画を立て直してみてはいかがですか。

 まずは目前に迫った夏休みを利用して、基礎をしっかりと振り返ってみましょう。

ゑまう(エモウ=笑う、花咲く)都に集うこずゑ(梢=枝の先端)

                          (令和6年8月1日)

 

 ここまで何とか「いろは」の順にタイトルを並べてきましたが、さすがに今回「ゑ」を使うのには苦労しました(汗)。

 まぁあまり深く考えずに、現在進行中のパリオリンピックを見て感じたことを「つれづれなるままに」書くことにします。

 3年前の東京オリンピックの際は、新型コロナやいろんな不祥事が重なってこのコラムで取り上げる機会がありませんでしたので、8年前のコラムと重複する内容になることを前もってお伝えしておきます。

 

 たとえば走り幅跳び(long jump)の現時点での世界記録は、アメリカのマイク・パイエル選手による8m95cm。

 走り高跳び(high jump)では、キューバのハビエル・ソトマヨル選手による2m45cmとなっています。

 

 文字で読むと「あ、そうですか」で終わってしまいますが、実際にメジャーで測ってみるとその長さ、高さに唖然とします。

 とても同じ人間とは思えません。

 

 ちなみにこの二つの世界記録はともに30年以上前のもので、科学的な身体研究やシューズ等の開発にかかわらず未だに更新されていません。

(今大会で更新され、この文章を書き換えるのを楽しみにしています)

 

 

 どんな種目であれ、見ていて当たり前と思われるような技でさえ、長年の鍛練・精進なしにできるものではありません。

 大げさでなく「奇蹟的な瞬間」の連続だと言えるでしょう。

 アスリートたちに関する情報に触れるたびに、その日常生活や練習の過酷さに驚かされます。

 早々と帰国の途についた選手たちも含めて、彼らが今までどれだけのものを犠牲にしてきたか、これから4年間どんな思いで練習に励むのか、想像もできません。

 人知れず空港に降り立ったすべての「こずゑ」たちに、ただ感謝とねぎらいのエールを送るばかりです。

人に依(よ)りかからぬ慈悲  (令和6年9月1日)

 2021年6月、日本選手権男子3000メートル障害で、三浦龍司選手は途中で転倒したにもかかわらず日本新記録を達成するという驚きの走りを見せてくれました。

 

 さらにその直後の8月2日、国立競技場で行われた東京オリンピック陸上女子1500メートルの予選では、金メダル候補だったオランダのシファン・ハッサン選手が最後の1周でまさかの転倒。

 しかし彼女は素早く起き上がるとそのまま何ごともなかったかのようにレースに復帰、みるみるうちに先頭集団に加わりこの組1位でゴールしたのです。

 

 「人は転ぶと石のせいにする。石がなければ坂のせいにする」というユダヤの格言があります。

 (森繁久彌さんが、あるドラマの中でおっしゃっていました)。

 

 余談ですが、大阪の寄席に行ったとき芸人さんから「今日のお客さんはノリが悪いですね」「今日はやりにくいですわ」といった言葉を何度も聞いてあきれたことがあります。

 スタッフが観客に向かって手を回す拍手の合図や、録音した客の笑い声を水増しして放送する演出に慣れた芸人さんには、芸で客を沸かす才能も意地もないのかとガッカリしました。

 また近年では、各種ハラスメントやあおり運転、匿名で他人を攻撃する破廉恥な風潮など、過度な自己顕示欲による迷惑行為も社会問題化しています。

 

 「慈悲」とは、仏が人々をあわれんで苦しみを取り除くことをさす仏語で、「いつくしみ」「なさけ」といった意味で使われる言葉です。

 自我を押し付けることなく、他人の感情や立場を理解する想像力と余裕を持てたら、この世界ももう少し住みやすくなるかもしれません。

 

 先日のパリオリンピックで、敗北から何度も立ち上がり、黙々と闘いの場に臨むアスリートたちを見ていて、この言葉を思い出しました。

もったいないかも  (令和6年10月1日)

 

 「期間限定!今ならお得」のキャッチフレーズに弱いのは誰も同じ(笑)。

 でも時間と競争しているつもりで実は時間を無駄にしているとしたら、それこそもったいない話です。

 イソップ寓話の「アリとキリギリス」が教えてくれるのは、音楽なんて無駄だということではなく、ひと夏という時間を無駄にすることの愚かさです。

 

 同じことを経験しても、そのときの年齢や価値観、境遇などによって感じ方には大きな差があります。

 同じ映画、小説なのに、以前と全くちがう印象を受けるという不思議なことは珍しくありません。

 この世界には、感受性豊かなうちに触れておいてほしい文学や音楽、また好奇心豊かなうちに挑戦してみてほしい体験、純粋な目で観察してほしい自然界の神秘がたくさんあります。

 スポンジのように吸収力の大きい頭脳と心をもっていれば、より多くのことを感じ取れるからです。

 

 人間の記憶力や思考力が最大に発揮されるのは、17歳(高校2年)前後と言われています。

 もちろん大学や社会へ進めば専門分野の知識は深まるでしょうが、世界史も数学も源氏物語も音楽も、という柔軟さは明らかに低下していきます。

 同様に、純粋に感動する心や謙虚な学習意欲の高まりも、青春時代がピークではないでしょうか。

 

 「期間限定!今ならお得」

 どうかお見逃しなく。

世界が教えるものを活かせ  (令和6年11月1日)

 論語の中に、「これを知る者は、これを好む者にしかず。これを好む者は、これを楽しむ者にしかず(知之者不如好之者、好之者不如楽之者)」という一節があります。

 「知識を持つ人より好きになった人の方がまさっている。楽しめればもっといい」というような意味です。

 仕事が好きな人は幸せです。でも好きなことを職業にできる人は限られています。

 それなら、今やっていることを好きになって、さらに楽しめばいいんです。

 英会話でも”Enjoy yourself”(楽しんで)という言葉がよく使われます。

 

 「私は詩人になれるでしょうか?」と問われたある高名な詩人は「一日中詩のことを考えらていれるのなら」と答えました。

 看板を描いている人は、町中の看板、雑誌に載っている看板、映画の中の看板が気になるでしょう。

 演奏家なら音楽、シェフなら味や匂い、医者なら病人のことを忘れるときはないはずです。

 私がファッション・コーディネイターの事務所で働いていたとき、先生に「食事まで近くの商店街を歩いて来なさい」と言われたことがあります。

 食事がすむと、矢継ぎ早に「目についたディスプレイは?」「店員の服装は?」「客の目を引いていた服は?」と質問されました。

 これも、常に装いに気を配れという教えだったのでしょう。

 

 世界は広く、学ぶべきことは無数にあります。

 そして、勉強とは興味の拡大です。

 何にでも興味を持って、どんどん世界の幅を広げていきましょう。

 机上の勉強だけでなく毎日の生活の中でも、興味のあるものを片っ端から吸収・コピーする能力を伸ばしましょう。

 

 先人から学べるということは人類の特権です。

スタートしなおします  (令和6年12月1日)

 新型コロナの流行が始まってから1年が経過した令和3年1月。

 ファミール誌(福井のフリーペーパー)に毎月連載していたコラム欄に「いいこと貯金は裏切らない」というタイトルの文章を書きました。

 続いて2月のタイトルを「ローテクが拓く未来」と決めた直後、「いいこと」の次が「ローテク」なら、このまま「いろは」の順にタイトルを並べてみようかと遊び心に思いついたのが始まりでした。

 

 ついでにタイトルの最初と最後の文字を同じにしたら面白いかなと思って、「ローテクが拓く活路」とタイトルを変更。

 さらに「〇〇の〇〇」というありがちなタイトルはやめようと勝手な縛りも追加。

 

 かくして4年・計48回に渡って、「いろは…」47文字+「ん」=48文字を並べてきました。

 

 その途中で、15年続いたファミール誌での連載が休止となってしまいましたが(涙)、このホームページに場所を移して今回めでたく一応の終着となりました。

 実を言うと、「いろは」を並べるのは想像以上に難しい作業で、最初と最後を同じ文字にするのにとても苦労しました。

 「ゐ」や「ゑ」のような旧かな文字については、なるべく昔の使い方を参考に言葉を選んだつもりです。

 ざっとタイトルだけ見ていただくと、その苦労を想像していただけるでしょうか。

 それと、掲載時の習慣で字数を同じくらいにするのも難儀でした。

 

 さて、来年正月からは気分一新。

 タイトルにも字数にも文章の内容にも縛られず、毎月の更新だけを目標にして気楽に感じたことを書いていこうと思います。

 やっと本来の「塾日記」らしくなりそうです。

 

 すっきり気分でスイスイっと、来年からスタートしなおしま~す(^^♪

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